ゆ き と の 書 斎

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2007年09月26日 「ジョニーは戦争へ行った」が銃夢に与えた影響

> タンニさん
> 「ジョニーは戦争へ行った」が銃夢の原点だったとは!!!
> この作品がどのように「銃夢」誕生に影響したのでしょうか?


トランボの「ジョニーは戦場へ行った」が直接に「銃夢」の原点だったというのは、
ちょっと言葉が足らなかったですかね~。
僕の創作史の中で、「銃夢」に結実するまでの一連の「サイボーグもの」の作品群があるわけです。
「怪洋星」「RAINMAKER」「プロト銃夢」…こうしたサイボーグものに取り組むきっかけになったのが
「ジョニーは戦場へ行った」でした。

一般に、「ジョニーは戦場へ行った」は反戦文学として知られています。
しかし僕は実際に読んで受けた感銘は、そのような既存のプロパガンダ文学のカテゴリーにすとんと収まるようなものではありませんでした。
ひとりの男の魂の叫びだと感じました。
主人公は両手、両足、両目、両耳、声を失い、肉体的に完全な無能力となり、他者とコミュニケーションをとることもできずに極限的に孤独な存在となります。(第一部「死者」)
(第二部「生者」では枕に頭を打ちつけるモールス信号に気付いた看護婦との意志疎通がありますが…)
SF的に表現するなら脳だけで生きている存在であり、哲学的に表現するなら精神だけの存在(実存)ということになります。

当時、僕は純文学的な切実なテーマとSF的スタイルをどう折り合いをつけるか、ということに苦心していました。
そこで精神の存在を浮き彫りにするために逆説的に肉体を無化する(無機化する)という、サイボーグテーマに対する新たな切り口(鉱脈)を発見したわけです。

だから僕がサイボーグものを描きはじめたのは石森章太郎の「サイボーグ009」の影響じゃないし、当時流行っていたサイバーパンクや映画「ロボコップ」などとは無関係の内的動機があったということです。

手垢がついて使い古されたようなサイボーグテーマを現代に蘇らせる切り口の可能性に気付いた時は興奮しましたが、現実の作品に結実させるためにはいくつものブレイクスルーと紆余曲折が必要でした。
あまりにコアなテーマ寄りの作品になってしまうと、芸術的すぎて大手商業漫画誌向きではない作風になってしまい、他人に読んでもらえません。
コアなテーマとエンターテイメント性のバランス取りに苦労しました。
銃夢/銃夢LOではだいたいコアなテーマ1割、エンターテイメント9割ぐらいの比率ですかね~。