ゆ き と の 書 斎

気まぐれゆきと帳過去ログ一覧

作品について

2001年10月25日 約束された未来はない。

このゆきと帳では、作品の内容にあまり触れないようにしてきましたが、今回ちょっとだけ書くことにしましょう。
旧銃夢単行本のエンディングと銃夢LOの違いについて。
旧銃夢単行本では、最後に「EPILOG」として5年後の世界が描かれています。
断言してしまいますが、銃夢LOではあのような未来は訪れません。
ザレム・イェールがナノマンジュにならないことはもう確定していますが、それ以外のキャラ達の運命も最終的にどうなるかは分かりません。

一応、銃夢LOのエンディングのイメージは僕の頭の中にありますが、はたして実際に描かれる時はどうなるか。
奇妙に思えるかもしれませんが、作者といえども、登場人物の生き死にを勝手にコントロールすることはできないのです。

ユーゴ編では、僕はユーゴを死なせたくなくていろいろアイディアを考えたのですが、ああなってしまいました。
モーターボール編では、ジャシュガンを死なせるか生かすか、最後の回まで迷いました。ジャシュガンが勝つ場合は死、負ける場合は生きる、という二択でしたが、ああなりました。
ザパン編は最初まったく違うストーリーを考えていたのですが描いてるうちにどんどん話が変わっていき、自分にもまったく予測のつかない終わり方をしました。
フォギァ編は準備不足で先のことを決めてないまま始めてしまい、ヨルグを死なせたくなかったのですが結局ああいうことに。

逆の例もいっぱいあって、イドは最初2話で発狂した殺人鬼になって死ぬ予定だったのが急遽変更。銃夢の設定そのものにも影響をあたえました。
ゴンズさんもマカク編中盤でイドに代わってガリィの手術をするシークエンスで不慮の死を遂げる予定だったのがトミタさんに止められ、生き永らえることに。同様にカンサスのマスターもマカクに殺される予定だったのが中止。

なんか場当たり的に作品を描いてるみたいですが(…実際そういうところもありますが)、キャラも設定もいったん紙の上に表現するや否やかなりの自立性を持って動き出し、それらが多数集まると大きな流れが発生します。ノヴァ教授風に言えば「集合カルマ」みたいなものが。
ただその流れをなぞるだけでは誰でも予測つくようなストーリーになってしまうので、要所要所でアイディアを投入し、流れを僕が表現したいと思っているテーマにそったものに近づけていくわけです。

しかしアィディア投入の結果、僕も予測しなかったような反応が作品の中で起こることがあります。僕はそうした場合、無理に流れを曲げたりせず、逆に流れに寄り添います。そしてキャラや題材などのエレメントをよく吟味してみます。よく観察し、考えてみます。この物語の本当のテーマはなんであるかを。
エピソードのはじめに用意したキャラクター、題材、構図、風景などの中に、すでに真のテーマは潜在しており、僕が気付くのを待っているのです。

自分でも驚くべきことですが、イメージやアイディアの源泉である僕の潜在意識の井戸は始めっから何を描くべきか分かっているのですが、井戸から恵みを汲み取る僕(表層意識。左脳、論理・言語脳)はその真の意味を把握しないままパズルを組み立てているのです。

僕が論理脳の限界を理解し、潜在意識を味方につけるすべを会得したのは19~20歳の頃で、この方法を初めて自覚的に実践して描いたのが「怪洋星」(短編集『飛人』に収録)でした。
この辺のことは、いずれ機会があったら「ゆきとクロニクル」に書こうと思います。