ゆ き と の 書 斎

気まぐれゆきと帳過去ログ一覧

近況 2007年

2007年12月29日 2007年書き収め

12月4度目の書きこみです。

> 銃夢BBS
> ブニさん
> トロさん
> ユージン様のお客様相談室に電話かけても繋がらず・・・トホホ

申し訳ないです。
おそらく会社が年末年始の休みに入ってしまったと思われるので、正月が明けてからあらためて電話してみてください。
ユージンの公式サイトのサポートページ(リンク)


> Ivanさん
> 「伏線の張り方」と言う意味でも「謎のかけ方」でも「逆転裁判」は凄い作品
> でした。
> 「ゲームのシナリオ」における理想の一つがここにある、と思えるほど。

「逆転裁判」はやったことないですけど、僕のせまい経験の範囲では、ゲームのシナリオで「謎~答え」のバランスの悪さにガクッときたってことはあまりないような気がします。
あまり数をやってないからかも知れないけど、アニメより失望することは圧倒的に少ない。ような気がする。
(クソゲーが少ないということではない。あくまでシナリオの話)
不思議に思ったので、少し考えて思いついた仮説を書きます。

結論から書くと、
・「ゲームのシナリオは必然的に推理小説と似た構造になるため、「謎~答え」のバランスが良くなるのではないか?」
というのが僕の仮説です。
「逆転裁判」はタイトルからして法廷推理物みたいですが、この仮説ではシナリオのあるゲームすべてを含みます(バイオハザードとか、メタルギアソリッドとか)。

ご存知のとおり「推理小説/ミステリー」は「謎~答え」がキモのジャンルです。
150年以上の歴史を持ち、「謎~答え」の手法や形式を研究し洗練させてきました。
作者と読者がフェアな協定に基づいて知恵を競う、精神的スポーツのような域にあります。
作者のアンフェアな行為(ちゃんと手がかりを示さなかったとか、答えを示さずに逃げるとか)はボコボコに批判されます。

ゲームでは、シナリオの有る無しにかかわらず、プレイヤーに「挑戦~成功~報酬」というエサを与え続けて先へ先へと進みたくなるように作る必要があります。
ゲームの構造がそもそも「挑戦~報酬」という系で成り立っているので、ゲームにシナリオがついた場合も、それに沿った形になると考えられます。
この「挑戦~報酬」という系を物語にフィットさせるにあたり、一番使いやすかったのが推理小説が育んできたフーダンニット、ハウダンニット、ホワイダンニットなどの各種技法だったのではないか…と僕は考えました。
(もちろんゲームのシナリオライターからは「推理小説なんて読んだことないよ」という反論もあるかもしれません。推理小説のエッセンスをまったく参考にしてないとすると、前述したゲーム独自の構造から、たまたま推理小説の構造と似た形に収斂進化したのかもしれません。この辺は僕は学者ではないので検証不能です。誰か論文書いてください)


初めのアニメの話に戻します。
「スカルマン」はどうも観た人が少なかったようなので、比較的メジャーな過去のアニメ作品を俎上にあげてみます。

・OVAジャイアントロボ 地球が静止する日
かくさんは好きみたいですが、僕は「なんじゃそりゃ~~~!?」( ̄□ ̄;)
とがっくしきた口。諸葛孔明はどうなったんだよう。

・ビッグ・オー
面白かったんだけど、最終回はわけわかんなかったな。無理に答えを示そうとして失敗した例。

・OVA真・ゲッターロボ 地球最後の日
僕はこれ大好きなのだが、観かえすたびに序盤の登場人物のあまりに大仰で思わせぶりな会話が鼻につく。
ジャイアントロボの影響があるのかもしれない。
すべての謎も「これがゲッター線の力か~!?」でチャラになってしまうというのもどうなのか。いいのか。
最後に「石川賢時空」に行ってしまうのですべてを許す気になる作品。

いずれも作画レベルも高く、世界設定やキャラクターの魅力もあるので熱烈なファンがいます。
こうして考えると、「あれだけ引っぱっといて答えがショボイ!!」と批判したくなるようなアニメって、作画レベルが高くて雰囲気があって初めはすごく面白く期待させてくれるような作品ばかりだな~。
作画レベルが低くてシナリオも演出もメチャメチャのアニメはそもそも最後まで観ないから、批判の対象にすらならないんだな。

ここから逆に仮説を立ててみる。
・「作画レベルが高いアニメほど、「謎かけ」で引っぱったあげくに「答え」を外すことが多い」

この仮説が正しいかどうか、もっとたくさんアニメを観ている人に検証してもらわないとわからない。
しかしこの仮説を補強する考察をひとつ書こうと思う。

それはアニメの持つ魅力(魔力)について。
アニメーションというからには動いてなんぼなんですが、優れたアニメーターが作り出す「ものすごく動きのいいアニメーション」というのは、それ自体にすさまじい魅力がある。
ストーリーとかと関係なく、観る者の目をとらえて離さない力は魔力といってもいい。
これには依存症になってしまうほどの魅力がある。
これは小説やマンガにはまったくないし、実写映画やゲームともまた違う力だ。
これはアニメというメディアの持つ最大の長所であり、武器だ。

しかし上の仮説では、そのアニメの魅力に頼りすぎるあまり、シナリオが雑になった、あるいは雑になりやすいという構造的不備について言っている。
魅力の部分が強すぎるため、客も目をくらませられてしまい、しばしばシナリオの雑さを大目に見てしまう。
批判的なフィードバックがないため、アニメ製作サイドも反省することなくますますこの傾向を強めていってしまう…
という悪いサイクルが起こっているのではないか?

みなさんの意見が聞きたい所です。

さて2007年もこれで書きおさめです。
みなさま、よいお年を~。(^-^)/~~


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