ゆ き と の 書 斎

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近況 2007年

2007年12月24日 「謎のあおり方」の謎

12月3度目の書きこみです。

今日は充分に睡眠をとって、午前中に起きられて体調がよかったので、やりかけになっていた大掃除の続きをしました。
1階の風呂場とトイレ、2階のトイレをきれいにしました。
うちは小便用と大便用の便器が別々になっていて、風呂場もトイレもふつうの家庭の2倍の広さがあるので、ちゃんと掃除しようとするとなかなか大変なんです。
ふぃ~~~。
寝室と仕事場の山積みになった本も整理しなきゃならないけど、疲れ切ったので今日はここまでにしよう。


> 銃夢BBSへのレス

> バーサーカー佐藤さん
> 今月号UJ表紙、お疲れ様ですた!
> 表紙をじっくり見てて思ったんですが、
> 光りの当て加減で陰影が変わる様にしたのは故意ですかぁ~!?
>ちなみに表紙のLast orderの文字が大文字なのわ、何か意味が!?

陰影が変わるというのは偶然だと思いますよ~。
ギャラリーページに絵と解説が追加されていますので、そちらも参照してください。
文字が大文字なのは、僕もウルジャンの見本を見て初めて気付きました。
デザイナーの方がちょっと凝ってみたんだと思います。特に意味はないです。


> 狂博士さん
> 今月号で1枚のチップの持ち主がわかるが
> ノヴァが始めてイェール到着時に
> ノヴァ以前に到着した3人と、3巻のセリフで
> ありますがその人たちとは違うのかな?

お察しのとおり三人の中の一人です。
残りの二人がどうなったかもちゃんと考えてあるんですが、
全員がストーリーにからむ形でちゃんと出せるかどうかはわからないですね~。


> 南さん
> 銃夢外伝買いました!
> ・今回の収録の各作品に加筆修正はあったんでしょうか?
> ・各外伝が発表された時系列はどうなっているんでしょうか?
> ・あとがきで故郷のストーリーを提案されたのが「川村君」となっています
>  が、BBSのkawamura氏と同一人物ですか?
> また、先生とkawamura氏(=川村君)とはどのような関係なんでしょうか?

本編に加筆修正はないです。
発表の時系列は「故郷」「聖夜曲」「音速の指」「馬借音頭」です。
巻末の解説および奥付を参照してください。
「川村君」とkawamuraくんは同一人物です。
彼と僕とはただならぬ関係…ではなく、
旧銃夢連載のころ彼がアシスタントでした。これも巻末解説を参照してください。


> フィギュア到着
> バーサーカー佐藤さん
> 皆様!アセトンに浸けるとガリィがゼリー状に成るとです!

なんつーもったいないことを!ヽ(`□´)ノ
欲しくても買えない外国のファンに謝りたまえ!!

> ブニさん
> こういうフィギュアをほとんど購入した事ないのでよくわからないのですが、
> この程度のエラーでも製造元に電話すれば取り替えてもらえるものなのでしょ
> うか?

初期不良品で不愉快な思いをさせて申し訳ないです。
まずはつーちゃんのレスにある通り、パッケージの「お客様相談室」に連絡してみてください。
ちゃんと対応してくれると思いますが、どーしても満足いかないようだったら僕のところにある新品見本とお取り換えしますよ。


さて、前回の「物語における謎の置き方、その結末のあり方」の続きです。
BBSでレスをつけてくださった方々、ありがとうございました。

> 仁さん
> 旧銃夢のエンディング、自分も好きです。
> 当時は笑う男(ガルエデ)って何者だったんだ~!と悶絶しましたが(^^;
> (ちなみにPS版をプレイして解決しました)

すんませ~~ん!! m(ToT)m 
↑悪い例の見本。orz
あれは最終回にガルエデが出てきてガリィと戦う予定だったんですが、気に入らなくて急遽ザレム墜落エピソードに差し替えたんです。
↑見苦しい言い訳。orz

ゴ、ゴホン。気を取り直して…

議論をもう少し精密にするために、僕の言う「謎とその答え」を少し定義します。
定義1・謎は伏線になり得るが、伏線は必ずしも謎ではない。
定義2・答えはオチになり得るが、オチは必ずしも答えではない。
定義3・劇中で明示的に演出されたもののみを「謎」とする。

それぞれ分かりやすく書きます。
まず、"定義1・謎は伏線になり得るが、伏線は必ずしも謎ではない。"
これは「伏線」というカテゴリーの中に「謎かけ」は含まれるが、「伏線」がすべて「謎かけ」ではない、ということ。
ちょっと考えてみればわかりますよね。

"定義2・答えはオチになり得るが、オチは必ずしも答えではない。"も同じことです。
つまり僕が問題にしている「謎と答え」は、「伏線とオチ」よりもよりミニマムな問題だということになります。

"定義3・劇中で明示的に演出されたもののみを「謎」とする。"
それは製作者が意図的に「謎」の存在を視聴者/読者に投げかけている、そうした「演出上の謎かけ」だけをここでは「謎」として論じるということです。
たとえば「テキサス・チェンソー・マサクル」を例にとります。
観客はなぜこんな異常な殺人一家が生まれたか興味を持ちますが、その経緯について劇中ではいっさい謎かけがないので、「とにかくテキサスは怖え所だ」ということで納得するしかない。←(ここがこの映画のスゲェところ)
謎かけがないので、答えがなくても問題ない。


みなさんの考えを聞いても、「謎の重さに見合った答えを用意するべきである」という意見が大多数ですね。
すでに銃夢のファンとしてここに集っているために答えの傾向が似ている可能性もありますね~。
川村君の言う「セカイもの」系のファンの人たちに聞けばまた違った意見があるのかも…。


さて今回はちょっと見方を変えて、作者の側から「謎と答え」について書きたいと思います。

読者として作品を見ていると、まず「謎」があって「答え」が出てくる、というように見えると思います。
でも、僕の立場からすると違うんですよ。
まず始めに「答え」(となるアイディア)が思いついて、「謎」を置く、という順番になるんです。
だから「答え」は始めからあって…どのように「謎」を置くか、謎かけ、伏線の張り方の巧拙が問われることになる。
今までこれが当たり前だと思っていたから、他の作品で謎をあおるだけあおっておいて答えがショボイというのは一体どういう制作プロセスでそうなるんだろう、と逆に不思議です。

他の作品で「答えがショボイ」のは悪い点だから見習う必要はないにしても、「謎のあおり方」は見習うべき点が多々あるような気がする…。

僕の作者としての心理的弱点をカミングアウトしてしまうと、
「なるべく伏線張りたくない、謎をあおりたくないよぅ~(((゜д゜;)))」
というチキン精神に尽きます。
謎をあおるためには作者の側にはある種のサービス精神、ショーマンシップが求められます。
ショーマンシップというのは厚顔無恥な精神態度が絶対的に必要になり、しばしば僕のヤワな精神はそれに耐えられないのです…。
チ、チキン。
(by楳図かずお先生)


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