ゆ き と の 書 斎

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レビュー(本)

2006年08月21日
「超」怖い話 Θ(シータ)」

つーちゃんが酷評していた「超」怖い話 Θ(シータ)」を仕事中にちびりちびりと読んで、読み終えました。
ツトム風雲録7月分参照
この件についてはすでにさんざんつーちゃんと議論したのですが、僕の感想としては「別に悪くねーだろコレ」でした。
つーちゃんが言うようなグロい話は42話中5話ぐらい(印象)。
つーちゃんが主張する「グロい話は怖い話とは別だ!勘弁してくんろ!!」というのはつねづね僕の主張でもあり、100%全面的に賛成、意義なし。
でも今回の「超」怖い話 Θ(シータ)に限って言えば、グロ比率はそんなに高くなく、僕のツボをとらえる珍妙奇天烈な話がたくさんあって、非常に満足度は高いです。
*確かに最後のエピソード「きりん」なんかはもうタイトルを見ただけでオチ
がわかってしまいますが…。(^-^;)*

それよりも、今回の仕事前に買っていたムック、平山夢明責任編集「怪奇ドラッグ」の出来のひどさに閉口していました。
面白いのは巻頭の稲川淳二との対談だけ。
「実演!百物語」なるページでは既出ネタのオンパレード。ヒドイのは、あきらかに「超」怖い話が元ネタになっている話が混じっていること。平山夢明ちゃんとチェックしてんのかゴラァ!?と叫びたくなります。
しかも本当の意味で「悪い文章」を読ませられる苦痛。どーして「超」怖と同じ筋なのに、ここまで怖くないのか?と自問自答してしまいました。
インターネットで良質な怪奇体験談が無料で読める現在、金取って読ませるからにはそれなりのものをちゃんと作ってくださいよ、でないと怪談業界は崩壊しますぜ、と言いたい。

この苦行を積んだあとで読む「超」怖い話 Θ(シータ)は実にスバらしい!!ラララ~
実話怪談といえども、いかに「語り」が重要かを再認識しました。
「超」怖い話シリーズは今後、編著者交代制で出すらしいので、加藤一氏版「超」怖い話に期待。


どうやらつーちゃんはデルモンテ平山/平山夢明氏の作風が我慢ならないらしく、その長年のつもり積もった思いが日記で炸裂したようです。
以下は僕の独り言…

確かに平山流グロ・サイコ路線が成功してからというもの、さたなきあ氏や小池壮彦氏までもがグロ・サイコ路線の作品を次々に発表する現状はいやなものがある。
デルモンテ平山氏は「怪談とは本質的に不謹慎なものである。死者を冒涜するものである」というある種のリアリズムの開眼の元に、その方向性を突き詰めたんだと思う。
それには一理あるとは思うが、僕やつーちゃんみたいな古い怪奇ファンはある種のロマンを求めてリアリズム路線に反発する。
そのロマンとは「理解できぬもの、未知なるものに遭遇する驚異、または恐怖」とでも言おうか…。

サイコ路線に関して言えば、現代社会の不安を表現しているとは思う。
だけど、そこには「正常で平凡な自分」対「狂っている理解不能の他者」という構図しかない。
浅い。浅すぎて深みも広がりもない!!
本当の恐怖は、「自分が狂っていて、しかもそれに気付かない」という状況だ!!
逆に言えば、最近の凡百のサイコ路線の物語の語り手には「自分が狂うかもしれない」という畏れがない。
その視点には一般peopleが持つ驕りがあり、さらに言えば「外れた者」への差別意識がある。
だから読んでて非常にむかつく。

死者を冒涜したり、不幸な人間を足蹴にしたりしなければ現代怪談は語れないのか!?
そんな怪談ならいらん!!こっちから願い下げだ!!

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