ゆ き と の 書 斎

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雑文・その他

2002年09月30日 才能とは性格のことである

>しろヤギさん
 
>やはり選ばれた天才のみが到達できる技なのでしょうか?
>それとも積み上げれば到達できるのでしょうか?
 

質問の本旨であるラフ画の描き方についてはつーちゃんが実際的な回答をしているのでそれにゆずるとして,天才,才能ということについて書きたいと思います。
 
かの発明王トーマス・エジソンは「天才は99%の努力と1%の才能である。」と申したそうですが,これは大衆向けの口当たりのいいリップサービスみたいなもんで,現実は違います。
「本当の天才とは99%の才能と1%の努力である。」これが僕の天才の定義です。
 
それで,この天才の定義から「木城ゆきと」をはかると分かるのは,僕は「天才ではない」という事実です。
これは日本的な謙遜などではなく,小学校高学年ぐらいから「俺ってもしかして天才?」という疑問から様々なテストを自分に課した結果得られた結論です。
平均的な人よりも1~2%多くの才能をたしかに持って生まれましたが,プロの漫画家としてモノになるために99%以上の努力をしました。
こういうのを日本語では天才ではなく「秀才」と呼びます。
 
僕は残念ながら天才ではありませんでしたが,漫画家を目指した時に励まされたのは,「日本漫画史上さまざまな名作・ヒット作が生まれたが,それらを描いたほとんどの作家は天才ではない」という事実です。(なんかすげー失礼な言い方…)
ほんの数えるほどしかない天才と,数多くの秀才,職人,そしてカルマを背負ってその人にしか描けないものを描く鬼才が満天の星空のごとく絢爛豪華・多種多彩な日本の漫画文化を作り上げてきました。
「天才でなくてもいい作品は作れる」という先人たちの足跡が僕を励ましてくれたのです。
 
最近なにかで読んだ文に,「才能とは性格のことである」とあり,なるほど,いい得て妙なり,と思いました。
 
また,最近読んだ本「天才と分裂病の進化論」デイヴィッド・ホロビン著、新潮社/によると,分裂病~分裂病型人格(いわゆる「天才」も含む)~正常人はホモサピエンスに普遍的に見られるある複数の遺伝子の組み合わせによる連続的なバリエーションにすぎないとされ(まさに狂気の一千の貌),その変異遺伝子の出現が類人猿が人類に進化した決定的要因だったのではないかという刺激的な説が唱えられています。
 
この本に書いてある症例を見ると僕は明らかに分裂病型人格っぽい。
最近はそうでもなくなりましたが,20歳前後の頃は自分がなんかのひょうしに狂ってしまうんじゃないかという恐怖に苛まれていました。
(そのへんの恐怖から短編「怪洋星」が生まれました。これを描いた時は分裂病の病状などの知識は全くなかったのに,のちになって主人公の行動が分裂病の悪性症状を的確に描写していると知った時のショックは大きかった)
 
脳の働きに必要な必須脂肪酸であるエイコサペンタエン酸(EPA)が分裂病の症状の緩和や発症の抑制に有効だと書いてあるのを読んで,EPAのサプリメントを最近飲むようにしました。
EPAは魚の脂から取るそうなので,魚嫌いな僕は魚臭かったらやだな~とか思ってたんですが,カプセルは意外に臭いがなくて,今のところ続けられています。
 
ああ,なんの話でしたっけ…
才能の話か。
 
とにかく,天才の作るものは分析は不可能。ただ口をあんぐり開けて「すっげ~」と鑑賞するのみ。
努力によっても天才とは違うけど色とりどりの花を咲かすことができます。
そしてそれらは鑑賞するだけでなく,どうやって作られたか,そのプロセスを分析したり追跡したりして楽しむこともできるでしょう。
謎は解かれるのを待っています。(^_^)

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