ゆ き と の 書 斎

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2002年08月06日 幽霊を見たい心理

まったく、死ぬまでに一度は幽霊を見てみたいと思うのでありますよ。
それも見まちがいや気のせいのレベルを超えた決定的なやつを。
 
子供の頃は、僕は超~恐がりでした。
遊園地のお化け屋敷になど怖くて入れません。ジェットコースターもダメ。
ぼっとん式の便所に夜中入るときは、今にも便所の穴から手が出てきて引きずりこまれるんじゃないかと恐怖におののいたものです。
本に書いてある特定の妖怪を避けるための呪文を必死で暗記したり。
それらの恐怖は子供にとっては本当に現実的な不安であって、居心地のいいものではありませんでした。
だから子供の頃は、まちがっても幽霊や妖怪に会いたいなどとは思いませんでした。
なにせそれらは疑う余地なく「現実に存在している」ものだったから…。
 
成長する、ということは何らかの方法で世の中の不安や恐怖を合理化し、自分の内部とおりあいをつけて安定させるプロセスでもあります。
僕の場合、その手段は「知的好奇心」としてあらわれたようです。
とにかく、世の中のあらゆることに興味を持ち、親にきく。親が当てにならなくなってくると、本を読む。
不思議に思っていた自然現象の多くは自然科学によって解明し説明づけられていました。未解明の現象も解明されるのは時間の問題であり、それはつまり、知識の光で闇を照らし、恐怖を克服していけるということを意味していました。
小学校の同級生の多くが学研の「学習」と「科学」のうち、「学習」を購読する子が大多数の中で、僕が「科学」の愛読者になったのも当然のなりゆきでした。
70年代の科学少年の僕は、超常現象もいずれは科学で説明可能な謎だと考えていました。
 
それから20数年がたちました。
子供の頃は、無知ゆえに謎と怪異と恐怖で渦巻いていた世界が、知識の光で照らしだされ闇は片隅に追いやられました。便所に行くたびにおののくような不安はなくなりましたが、かわりに世界は平坦で退屈に見えるようになりました。
すっかりスレてしまい、怪奇本やホラー映画を見てもほとんど恐怖を感じなくなってしまいました。
そうなると、子供の頃はあれほど避けていた幽霊や妖怪に会いたくなるのが人情というものです。
一点の曇りもなく理路整然とした日常世界の常識に風穴をうがつような体験をしてみたい。
そうしたものに出会ったとき、自分はどう反応するのか?恐怖するのか?体験を受け入れるのか?世界が変わって見えるのか?あるいはなんにもないのか?
知りたい~…。

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