バルカン・ドリフター400 of 茶房・風雲庵

木城家にやってきた“鉄の馬”を写真で紹介!!

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2009年7月28日 木城ツトム

カワサキ バルカン・ドリフター400(400cc)


drifter002.jpgビンテージスタイルのドリフター車検の負担から5年ほど乗ったスティードを手放し、しばらく買い物バイクとしてホンダ・VT250スパーダに乗っていたのだが、やはり小さくて物足りない。90年代の終わりごろ、またアメリカンに乗りたいなあ〜と思い始めたが、そこには大きな壁が立ちふさがっていた。


当時は、猫も杓子もアメリカンだらけだった地獄のアメリカンブームのさなか。その火付け役となったホンダ・スティード400は、そのころヤマハの新型アメリカン、ドラッグスター400にその王座を明け渡していた。

「木城家バイク列伝」にはまったく登場していないヤマハ製のバイクだが、その仕上がりとデザイン性の良さはさすが楽器メーカーと世間の評判も高く、私も常々乗りたいと思っていた。スティードを買う時に、ヤマハ製アメリカンのビラーゴ400とどちらにするか迷ったのだが、このビラーゴ400、スタイルが独特なのはいいのだが、燃料タンクがダミーだったり(タンクはシート下)、片側2本出しマフラーの上1本がダミーだったり(つまり2in1の集合マフラー)と妙な無駄が多い、変なクセのあるバイクだった。私がスティードを選んだのはそれが原因というわけではないが、世間的には「変なバイク」として見られていたようで、ビラーゴの250は街中で見かけても、400はめったに見かけなかった。

やはりこれではまずいと思ったのだろう、ヤマハはビラーゴシリーズに代わり、本格的な「ハーレーコピー」のドラッグスターシリーズを90年代半ばにリリースする。他のメーカーが水冷Vツインなのに対し、ヤマハはビラーゴのころから音の良い空冷Vツイン。そしてスタイルはまさにハーレーそのもの、仕上げの美しさはヤマハ仕込みとくれば、これが売れないはずはない。あっという間に街中にあふれ、コンビニの前には何台も並んで停まっているほどだった。

ドラッグスターはあこがれのシャフトドライブ(オイルで汚れないから)だったし、なにより空冷というのが魅力的だったが、やはり世間の風潮に迎合するのは堪え難い。アメリカンライダーならば、ひとりで我が道を行くべきなのではないのか……ドラッグスターにするか、他社の水冷(+チェーンドライブ)アメリカンにするか……私はひとり結論が出ないまま悶々とした日々を過ごしていた。

そんな時、突然カワサキからニューモデルのアメリカンが出現したのだった。名はバルカン・ドリフター。


drifter.jpg実家にて母親が撮影パーツの多くをブラックアウトした車体、タイヤの半分以上を覆うエスカルゴフェンダー、長く伸びたフィッシュテールマフラー、巨大なサドル風シートにステップボードと、他に類を見ない超ビンテージスタイルに一発でヤラレてしまい、1999年のリリース直後に購入。よく考えないで買ったので水冷エンジンだしチェーンドライブだったが(笑)、なにしろそのスタイルはカッコよかったし迫力があった。街での注目度も高く、おじさんたちにしょっちゅう声をかけられた(笑)。

反面車重が重く、トルクもないので曲がる時は「よっこいしょ」という感じ。さらに高速道路での風圧はものすごく、バイクよりも乗っている人間が耐えられなくなってしまう。もともとスピードは出ないし、高速道路では他の車の迷惑にならないように走るので精いっぱい。

またフェンダーが深いので、磨くのには最悪。特にリアのスポークホイールなどは手が入らず、ほとんど何も出来なかった。フェンダーを外すのも半日がかりという感じで、まったく掃除に向いていないバイクだった。私はこのバイクですっかりスポークホイールが嫌いになってしまった(笑)。

しかしゆったりまったりとした乗り心地と絶品のスタイルは、所有欲を大きく満たしてくれた。ドリフターのこの大仰なビンテージスタイルは、国産アメリカンの行き着くひとつの到達点なのではないかと思う。