ゆ き と の 書 斎

気まぐれゆきと帳過去ログ一覧

近況 2006年

2006年08月21日 8月2回目の書きこみです。

長くなったので二回に分けました。

ウルジャン購入して読んでくださった皆様、ありがとうございます~。
<(_ _)>
いつもの半分のページ数、15ページしかありませんが、今回はこれがやっとでした。

> ツトム@管理人さん
> しかし今月号のウルジャン表紙…すっごい
> 買いにくいと思いますが(笑)。
> マチュさん
> すっごく気恥ずかしかったですwツトムさん^^;

実は今月号のウルジャンの表紙は僕が描く約束だったんです。
ところが外伝の執筆が予定より一カ月もオーバーしてしまって連載再開すら危ぶまれたため、表紙イラストはドタキャンしてしまったのです。
すべて僕の責任です~。申し訳ありません~。

銃夢BBS
> じむじむさん
> LO9巻を読んでいて、ストーリーの大枠がアイザックアシモフのロボットシ
> リーズに似てるって思いました。
> SFの古典ロボットシリーズを現代用に巧くデフォルメしたのでは?って思いま
> すが皆さんいかがでしょうか。

不勉強にも、僕はアシモフをちゃんと読んでなかったので、それは知りませんでした。
(^-^;)
高校の時、図書室にあった海外SF大全集を読破しようとしてましたが、その時に「鋼鉄都市」を読んだような読まなかったような…記憶がはっきりしませんね~。
ロボットもので意識的に影響を受けたのは、スタニスワフ・レムの「宇宙創世記ロボットの旅」ですね。
「サイバネ技師」などの用語はこの作品の影響です。
でもアシモフへのリスペクトとおぼしき実写映画「サイレント・ランニング」が好きだったから、隔世遺伝みたいな影響はあるのかもしれませんね。


> 惑星が12個に!

冥王星の外側に大きな惑星が発見されたころから太陽系惑星の数が増えるとは思っていましたが、セレスやカロンまで惑星に数えられるとはびっくりしましたねー。
この定義が通れば、最終的に太陽系の惑星は50個を超えると言っている学者もいるようですし、今後の展開に目を離せませんねー。
銃夢の設定では今まで通り、セレスを小惑星、カロンを衛星と書くつもりですが、新定義が完全に定着したら注釈に書かないとダメかな。


メタルBBS
> BLACKOUT さん
> そういえば、LOになってからはそういう音楽ネタが少なくなった気がするの
> は私だけでしょうか?w

やりたいのはヤマヤマなんですが、権利関係でのちのち複雑な事態が発生する事が多いので、銃夢LOでは洋楽の歌詞などを使わないようにしています。
旧銃夢5巻でガリィが歌うYES「BIG GENERATOR」は北米版発売の際に掲載許可が下りず、翻訳者の方によるオリジナル歌詞となりました。
その後「銃夢完全版」収録の際にも掲載許可を取るためにトミタさん以下集英社のスタッフがかけあってくれたのですが、YESはメンバーが離合集散を繰り返す事で有名なバンド。(汗)
権利関係は複雑怪奇で、マネージメントに山師みたいな会社がからんでいて連絡がつかなかったりして、結局「BIG GENERATOR」の掲載をあきらめ、北米版のオリジナル歌詞を収録する事で妥協せざるを得ませんでした。


つーちゃんが酷評していた「超」怖い話 Θ(シータ)を仕事中にちびりちびりと読んで、読み終えました。
ツトム風雲録7月分参照
この件についてはすでにさんざんつーちゃんと議論したのですが、僕の感想としては「別に悪くねーだろコレ」でした。
つーちゃんが言うようなグロい話は42話中5話ぐらい(印象)。
つーちゃんが主張する「グロい話は怖い話とは別だ!勘弁してくんろ!!」というのはつねづね僕の主張でもあり、100%全面的に賛成、意義なし。
でも今回の「超」怖い話 Θ(シータ)に限って言えば、グロ比率はそんなに高くなく、僕のツボをとらえる珍妙奇天烈な話がたくさんあって、非常に満足度は高いです。
*確かに最後のエピソード「きりん」なんかはもうタイトルを見ただけでオチ
がわかってしまいますが…。(^-^;)*

それよりも、今回の仕事前に買っていたムック、平山夢明責任編集「怪奇ドラッグ」の出来のひどさに閉口していました。
面白いのは巻頭の稲川淳二との対談だけ。
「実演!百物語」なるページでは既出ネタのオンパレード。ヒドイのは、あきらかに「超」怖い話が元ネタになっている話が混じっていること。平山夢明ちゃんとチェックしてんのかゴラァ!?と叫びたくなります。
しかも本当の意味で「悪い文章」を読ませられる苦痛。どーして「超」怖と同じ筋なのに、ここまで怖くないのか?と自問自答してしまいました。
インターネットで良質な怪奇体験談が無料で読める現在、金取って読ませるからにはそれなりのものをちゃんと作ってくださいよ、でないと怪談業界は崩壊しますぜ、と言いたい。

この苦行を積んだあとで読む「超」怖い話 Θ(シータ)は実にスバらしい!!ラララ~
実話怪談といえども、いかに「語り」が重要かを再認識しました。
「超」怖い話シリーズは今後、編著者交代制で出すらしいので、加藤一氏版「超」怖い話に期待。


どうやらつーちゃんはデルモンテ平山/平山夢明氏の作風が我慢ならないらしく、その長年のつもり積もった思いが日記で炸裂したようです。
以下は僕の独り言…

確かに平山流グロ・サイコ路線が成功してからというもの、さたなきあ氏や小池壮彦氏までもがグロ・サイコ路線の作品を次々に発表する現状はいやなものがある。
デルモンテ平山氏は「怪談とは本質的に不謹慎なものである。死者を冒涜するものである」というある種のリアリズムの開眼の元に、その方向性を突き詰めたんだと思う。
それには一理あるとは思うが、僕やつーちゃんみたいな古い怪奇ファンはある種のロマンを求めてリアリズム路線に反発する。
そのロマンとは「理解できぬもの、未知なるものに遭遇する驚異、または恐怖」とでも言おうか…。

サイコ路線に関して言えば、現代社会の不安を表現しているとは思う。
だけど、そこには「正常で平凡な自分」対「狂っている理解不能の他者」という構図しかない。
浅い。浅すぎて深みも広がりもない!!
本当の恐怖は、「自分が狂っていて、しかもそれに気付かない」という状況だ!!
逆に言えば、最近の凡百のサイコ路線の物語の語り手には「自分が狂うかもしれない」という畏れがない。
その視点には一般peopleが持つ驕りがあり、さらに言えば「外れた者」への差別意識がある。
だから読んでて非常にむかつく。

死者を冒涜したり、不幸な人間を足蹴にしたりしなければ現代怪談は語れないのか!?
そんな怪談ならいらん!!こっちから願い下げだ!!