ゆ き と の 書 斎

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近況 2006年

2006年12月17日 カルドセプト・サーガの話・続きの続き

12月6回目の書きこみです。

>kawamura君

ほほう、たわけにたわけで返すか。
さすがは俺が見こんだ男。
怒られて「ハイすいません」じゃ議論が深まらんものな。

ロケットスタジオの21歳の企画マン君の内部暴露が会社員としてふさわしくない行為である/プロとしてなってない、という点にはまったく異存はないよ。

豪華客船のたとえ話でわかったのだが、どうやらゲーム業界全体の話と「カルドサーガ」といういちプロジェクトの話がごっちゃになってしまっているようだ。(俺もふくめて)

あらためて業界全体と「カルドサーガ」の二つを切り分けて論じよう。


まずは「カルドサーガ」の話。(元々この話題はカルドサーガの不出来が原因ではじまったのだから)

川村君の豪華客船の船員のたとえ話をカルドサーガ・ユーザーから見ると、もう手遅れなんだよ…。
タイトルは発売されてしまったのだから!

会社がどうこう、業界がどうこうということではなくて、ゲームタイトル一般の話でもなく、カルドサーガユーザーにとってはカルドサーガの出来だけが問題なんだ。
ほかの船の船員はがんばっている、とか言われても、なんのなぐさめにもならねーんだよう。
(T_T)

豪華客船のたとえで言うと、カルド号の一回目の旅は最高!
二回目の旅は世界最高!!
で期待して三回目の旅に参加したら、クルーがまともな仕事もせずに沈みましたとさ…。
という感じだな。

そして生き残ったクルーが「この業界に失望した!」ってmixiで吼えて、それに川村君が「ちゃんと仕事している船員もいる!」と反応して、カルドサーガ号生き残り乗客の俺が「たわけ!」と怒った、という流れかな。

どんな業界にも手抜きをする奴もいれば、地道にがんばっている人もいるよ。それはわかっている。

でも俺が前回怒った原因のひとつは、川村君が「悲しい」という言葉を使ったこと。
「悲しい」という言葉を非難に使うのは、プロとして卑怯なことだぞ。
「悲しい」と言われたら、他人は同情するか、無関心かしか選択肢がないじゃないか。
泣いていいのは被害者だけだ。
論理的に反論しろ。そして怒れ!!
昔のアシスタント時代の傍若無人な川村君を知っているから、よけいそう思う。


つぎにゲーム業界全体のことについて論じよう。
といっても俺はいちユーザーだからたいして言えることはないんだけど…。

俺個人について言えば、前回も書いた通り、「カルドサーガ」でハズレ引いたからといってXbox360売っちゃったり、ゲームやるのをやめる、とかそういうことはないよ。
ただ今後バンダイナムコや大宮ソフトのゲームを買うかどうかはわからんけど…。

ただアマゾンのレビューを見るかぎり、カルドサーガのためだけにXbox360を買った、という人もけっこういて、そういう人の書きこみを見ると本当に胸が痛む。
「悲しい」って言葉はこういう時のために使う言葉じゃないのか。
あの人たちはもう新しいカルドセプトが出てもやらないかもしれないし、ゲーム自体をやらなくなってしまうかもしれない。
本当に悲しいってのはこういうことだろ。

ゲームはマンガなんかと同じ嗜好品だから、ファンに失望を味あわせて見切りをつけられたらそれまでだ。



業界の衰退には二種類ある。

ひとつは売り上げが落ちること。これは数字としてハッキリと出るので、ニュースとして取り上げられる。

もうひとつはちゃんとした品質のものが作れなくなること。これはリコールやバグが発覚するまではなかなかニュースには取り上げられない。
ゲームやマンガのような文化商品には品質に加えて、面白いものが作れなくなる、ということもある。これは極めて主観的なものなので、表のメディアで取り上げられるようなことはほとんどない。

この二つは資本主義の社会ではある程度連動しているが、必ずしもイコールではない。
ちゃんとした品質のものが作られているのに、売り上げが伸びない、落ちている、なんてこともザラにある。

俺もものを作っている人間だからその立場から言わせてもらうと、地道にいい仕事、面白い作品を作っていれば、売り上げという形で評価されると信じてやっている。
だけどその信念には、実際なんの根拠もない。
現在銃夢LOは初版10万部。俺としてはこの倍は売れてしかるべきだと思っているが、市場による判断だから受け入れざるをえない。
それでもときどき悔しさがつのって、編集者に
「もっと広告打ってくださいよ!うわーんヽ(ToT)ノ」
とごねたりして困らせる。そのあとは決まって自己嫌悪で寝こむ。

ちょっと話がそれちゃったが、よーするに、現場の人間が「よいものを作れば売り上げも伸びるはず」と根拠のない信念で仕事するか、「てきとーに手ぇ抜いててきとーに稼げりゃいいんだよ」と考えて仕事するか、そこの差が品質の問題として立ち現れてくるんではないかと俺は思う。
文化商品の場合には、その現場の意識の差が作品の面白いかどうか、ユーザー体験のよしあしになるんではないか。

そして売り上げが悪くなってきた時、「逆境だが、ここでいっちょ踏ん張っていいもの作ってやっか!」と考えるか、「売り上げわりーからコストダウンしてテキトーなもんでお茶を濁すか」と考えるか、そのメーカーの姿勢の違いが業界の明暗を分けていくんではないか。

ちなみに俺は会社勤めの経験がないので、勤め人の気苦労というのはわからない。
多人数で仕事をすれば思うようにはいかないんだろうなぁ、とは想像はする。
ただその組織の論理が、上に挙げた日本の美徳というべき「モノづくりの精神」を押しつぶすなら、そんな会社やめたら、と思う。

俺が現場の人たちに送るエールは、「がんばっていい仕事しろ。報われるかどうかわからんが」というものになるな。
なんか夢も希望もないような言葉だが、はじめから成功するとわかってるなら素人でもできる。
ちゃんとした仕事をした上で評価は天に任せる、というのがプロの矜持というものだ。


それからガンダムのたとえはワケわからんから勘弁してくれ。