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殺生石・那須高原ツーリング
栃木県那須町・那須湯本温泉

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2011年9月24日 木城ツトム

いきなり結論から言うと、今回のツーリングは失敗だった(笑)。

出発する前から、すでに失敗しそうな要因があった。まず天気がいいからと、直前になってあわてて目的地を決めたこと。その天気がいい日が運悪く3連休の中日だったこと。ビデオカメラ「PLAYSPORT」の予備バッテリーがお亡くなりになり、充電が効かなかったこと。さらに、出発前から軽い頭痛に見舞われていたことなどだ。

ただし気候的には、前日から台風一過の雲ひとつない晴天で、ちょっと肌寒い程度という、まさに天がバイクツーリングのために用意したような好条件。この休日が過ぎると天候も崩れるというし、ここで走らないなんて考えられない。バッグ作り(ミニボストン・クロコスペシャル)を終えた直後から、急いで目的地を物色。なかなか決まらずあせっていると、とあるホラーゲームの「殺生石」のくだりを思い出した。栃木県の那須高原にある殺生石といえば、関東圏に住む人なら遠足などで行ったことのあるおなじみのアレである。私も当然行ったことはあったのだが、何十年も前に遠足で1度行ったきりだし、オカルティックな場所でもあるし、行ってみるのもよかろうと殺生石に目的地を定めた。

また調べてみてわかったのだが、殺生石の先にはその名も「ボルケーノハイウェイ」という環状の峠道があるという。ボルケーノ(火山)とはまたエキサイティングな名前だが、まさか火山の噴火口のまわりを走ったりするのか??これはちょっと期待せずにはおれない。

01.jpg北米マフラー、自作タンクパネルを装備して初ツーリング02.jpg今回は道に迷うことなく、アッサリと那須湯本に到着03.jpgこの日は休日、しかも道路工事も加わって大渋滞04.jpg温泉神社の正門。ここから入ったら逆の順路だった
05.jpg神社内にあったかわいらしいカエル?の石像06.jpg「生きる」と言うご神木。名前からして大迫力07.jpg神社本殿。煙っているのは霊気ではなくたき火の煙07e.jpg源平の戦いで扇を射ぬいた那須与一が詣でたという

愛機ボブ太郎にウィンドシールド、ナビ、自作サドルバッグなどいつも通りの装備をして、24日の朝7時半から家を出た。道順は以前行った「大谷観音」とほぼ同じで、常磐道→外環→東北道→那須IC降りてスグという単純ルート。前回デタラメなナビゲートによりとんでもない道を走らされたが、今回はガーミンnuvi205Wの機嫌が良かったのか、スマートなナビゲーションで順調に走ることができた。しかし雲ひとつない青空の土曜日とあって、車もバイクも大量に走っている。途中で休憩したサービスエリアも人でいっぱい。この分では殺生石近辺も混雑しそうだ。

途中で事故渋滞があったものの、それ以外は滞りなく走って10時半ごろ那須ICに到着。やはりここで降りる車も多く、仲良く並んだ状態で那須高原へ。道が上り坂になってくると、徐々に硫黄のにおいが鼻を突いてきた。いよいよ到着かと思われたが、急勾配の坂でまさかの渋滞。ダラダラ進むうちに県営の無料駐車場まで来たので、そこにボブ太郎を停め、歩いていくことに。

まずは目の前にあった温泉神社から入ってしまったが、こちらからだと順路が逆だったようだ。まあ順路逆走は私のお家芸なので、構わずこのまま進んでみる。山門から本堂までは少し歩くのだが、途中にはカエルの石像?やご神木があったりしてのどかな雰囲気。程なく本堂に着いたが、見たところまあ普通の神社である。交通安全をお祈りしてから、神社を出ていよいよ殺生石へと向かう。

08.jpg神社を出ると、眼下に殺生石までの順路が見える09.jpg順路左側のアップ。ここの左上のがけに殺生石がある10.jpg殺生石があるというスペースはそんなに広くない12.jpgこの日は抜けるような青空。硫黄臭いが清々しい

殺生石の由来を知らないという人は珍しいと思うが、簡単に紹介すると、有名な妖怪「金毛九尾(きんもうきゅうび)の狐」の最期の姿だとされている。古代インドから中国に渡り、美女に化けて悪逆の限りを尽くしていた九尾の狐は、太公望によって正体を見破られ、日本に逃げてくる。日本では若藻(わかも)と名乗って美少女に化け、その後玉藻の前(たまものまえ)と改名して鳥羽上皇の寵愛を受けるようになる。ところが鳥羽上皇が病気でふせったため、陰陽師が原因を調べてみると、狐が化けた玉藻の前が原因だと判明した。正体を現した九尾の狐は那須に落ち延びたが、鳥羽上皇が出した軍勢8万に追いつめられ、ついに射殺されてしまう。

ところが死んだ九尾の狐の怨念はすさまじく、死んだ後も巨大な毒石へと変わり、毒を吹き出して近づく者を皆殺しにした。地元の人々はこの石を「殺生石」と名付けて恐れ、長らく近づけない状態だったが、南北朝時代に玄翁(げんのう)という僧侶がハンマーで叩き割り、殺生石の破片は日本各地へと飛び散った。金槌の別名を「玄翁」と呼ぶのはここに由来する。———民明書房刊……ゲフンゲフン

13.jpgどの石が肝心の殺生石かわからない。コレあたりか?15.jpg殺生石側から順路を戻っていく。人がいっぱい17.jpg途中にある「教伝(きょうでん)地蔵」。何かコワイ16.jpg「教伝地獄の由来」。なんとも恐ろしい話

いざ殺生石があるという崖の前まで来てみると……狭い。ウームこんなに狭かったっけか。小学生の時に来て以来だからスケール感が違うのも無理ないが、それにしてもショボい。有毒ガスが噴き出しているわけでもなく(目に見えていないだけでガスは出ているらしい)、要するに硫黄くさい岩場というだけである。上空に雷雲でも渦巻いていればまた違ったオドロオドロしい雰囲気だったろうが、こうも清々しい青空では怨念の「」の字も感じられない。まあしょせんは観光地、こんなものであろう。

……と油断した私が次に見たものは、赤い毛糸の帽子をかぶった、なんだか異様な地蔵さまだった。「教伝地蔵」というらしいが、その横の立て看板に書かれた「教伝地獄の由来」を読んでビビリ上がった。なんという地味にリアルな死に方。話の中の因果応報の部分はともかく、火山活動が活発だったころには地面から突然熱風が吹き出して、足を黒コゲにして死んだ人とか実際にいたのかも知れない。げに恐ろしきは大自然の力である。