ゆ き と の 書 斎

気まぐれゆきと帳過去ログ一覧

近況 2009年

2009年01月22日 BBSのレスと自作品について


1月3度目の書きこみです。

まずは近況。

データバックアップ用に外付けブルーレイドライブとUPS(無停電電源装置)を新たに購入、設置。
銃夢LOのデータは1話当たり1GB~2GBあって、とりあえず最初の10話分をバックアップ。
時間かかる~~…。
書きこみはじめて4時間以上たつけど、まだ3分の2ぐらいしか進んでない。
接続がUSBだからなのか、BD-REというメディアの限界かはわからないけど、今までのDVD-RAMより下手すると書きこみ遅いな…。

新しく購入したPhotoShopCS4が相変わらずクソな出来で使えない。
CS3の時は仕事が忙しいこともあって泣き寝入りしたけど、今回はさすがに我慢できずにアドビのサポートに電話した。
そのあとにアドビのサイトから改善要求を出した。
ちゃんと改善してくれればいいけど、最近のアドビはクリエイティブスイートが売れてウハウハみたいだから、ちゃんと末端ユーザーの声を聞いてくれるかどうか…。


銃夢BBSへのレス

> 狂博士さん
> 厄年の先生は何か良い事や悪いことはありましたか?

去年は僕は本厄だったんですね~。ぜんぜん忘れていた。
特別良いことも、特別悪いこともなく、連載の仕事しているうちにあっという間に過ぎ去ってしまいましたね~。
ストレスからか高級一眼レフやソーラーパネル買ったり(^-^;)年末に体調崩したりはしましたが…。
最大の恐怖は家族に悪いことが起こることですが、両親も大過なく過ごしました。
毒ギョーザの時はつーちゃんの体調が崩れて本当に心配しましたけど、連載を落とすほどまでにはいたらず何とか無事でした。

・「不幸」について

この前終わった金星編でもそうですが、僕の作品では繰り返し「恋人と死別する」というモチーフが描かれます。
これは僕の精神の奥深いところからの強い衝動から出てきていて、実際にそういう体験があるわけでもないのに、なぜ取り憑かれたように繰り返し同じモチーフを描くのか自分自身謎でした。
最近内省していて、有力な仮説が思いついたのでここに書き記します。

結論から言うと、この死別のモチーフは、僕の死への恐怖を表現しているのではないか…という仮説です。

幼少のころ、僕が自分の死というものを意識したとき、何がいやだといって、自分が親しんでいるものから引き離されるのがいやだった。
家族や友人、家や自分のおもちゃ、見知った近所の風景、太陽の暖かさや雨のにおい、そうしたものから引き離されると考えたとき、どうしようもない恐怖が襲った。
ぜんぜん知らない土地で迷子になってしまったときの心細さを数百倍にしたような感覚です。
歳を重ねて小賢しくなっていっても、この死への恐怖(死別の恐怖)はなにも解消しなかった。
結局の所、チキンな僕の人生は、いずれ直面するこの恐怖にどう対処するか…ということに費やしてきたような気がする。
現在、僕は自分の死そのものは怖くない…といったらたぶんウソになるけど、「そのとき」がこなければ実感がわかない。
しかし肉親が死ぬ可能性を考えると、どうしようもないほどうろたえる。
マンガのストーリーではロマンチックにするために対象が異性の恋人になったりするだけで、結局のところ死別の体験を様々なシチュエーションで追体験し、シミュレーションしているのではないか…というのが仮説の要旨です。
僕のマンガの中では、「死別」に直面したとき、ある者は雄々しく立ち直り、ある者は発狂して暴走し、ある者は最初で最後の勝負に出、ある者は強迫観念から世界を造りかえた。
さて、僕自身はどうなるのだろうか…。


> 通りすがりさん
> なんだか、細かく描き過ぎて読者が予想したり妄想したり
> する余裕がない感じ。
> 試合のいくつかは、外伝として後々描いてもらったほうが、物語の進行や盛り上がりを邪魔しないと思う。
> (中略)
> 作者が細かく描くと、「このキャラはこういう設定だから、そのように盛り上げてね」と強要している印象を受ける。

貴重なご意見、ありがとうございます。
編集者とかは、口が裂けても「最近のLO、面白くないですね~」などとは言いませんから。
彼らは作者をおだてて、なんとしてでも原稿を描かせるのが職務なので、批評者としては役に立ちません。
だから皮肉などではなく、こういう意見は貴重です。

さて、風呂に入って、この件について考えてみました。

まず、「試合のいくつかは、外伝として後々描いてもらったほうが、物語の進行や盛り上がりを邪魔しないと思う。」という指摘。
そういう考え方も当然、ありますね。
一方で他の人からは「全試合描いてほしかった」という要望もありますが…。

この件についてはZOTT編をはじめる前に熟考し、編集者とも協議して、「必要だと思う試合は描くが、必要なしと判断した試合は省略する」、「途中でやめず、必ず決勝まで描く」、そして一番重要な「あとで悔いを残さない」という方針を決めました。

あと、これは編集のイトウさんにもたびたび言っているんですが、僕は試合の勝敗にはまったく興味がないんです。
だって、作者なので、どっちが勝つかなんてあらかじめ分かってますから。
(勝負モノを描く作者としては失格なのかもしれませんが、興味ないものはしかたがない。)
なので、それ以外の要因、「重要なキャラクターの成長が描かれるか」「銃夢世界のバックグラウンドが描かれるか」を試合を描くか省略するかの基準にしています。

読者の視点と作者の視点は違って当然ですが、僕としては、描かれた試合には描かれた理由があった、ということです。
そして、現実問題として、ZOTTの試合ひとつを取り出して外伝で描くというのは(不可能とは言いませんが)難しいですね~。
みんな外伝、外伝と気軽に言いますが、外伝にも独立した短編として恥ずかしくない主人公とテーマとアイディアと構成が必要なわけで、そうポンポンとできるもんでもありません。


そして指摘の二、「細かく描き過ぎて読者が予想したり妄想したりする余裕がない感じ。」について。

「ストーリーのエンディングなどを少し遠回しな表現にしたり、最後まで描ききらずに途中で切ってあとは読者の想像にまかせる」というのは比較的高度な演出技法で、僕もチャプターのレベルではそう描くことを目指しています。(ここでのチャプターとは、LO第1話からザレム出立までの「ザレム編」、「対ガントロール戦」、「文明復興編」などのストーリーのまとまりを指します。)
ただ、作者がそれを目指しているからといってその通りできているとは限らないので、このへんはいっそうの精進が必要ですね~。
ただあんまり描くべきことをぼかしてしまうと、何が言いたいんだかわからなくなってしまうので、そのへんのさじ加減が難しいですね~。

ただ通りすがりさんの文後半、「作者が細かく描くと、「このキャラはこういう設定だから、そのように盛り上げてね」と強要している印象を受ける。」という部分から、チャプターよりももう少し細かいキャラクターのエピソードレベルの演出について言っているように感じました。
そこで、その点について集中的に内省してみたんですが…まったくなにも考えつきませんでした。
(._.)
これまで指摘されたようなことをまったく考えたことがなかったので、完全に虚を突かれた感じです。

「強要している印象を受ける。」とのことですが、まあどんな印象を受けるかは読む人の自由ですが(前にもここで書いた、誤読の自由というやつです)、実際のところ僕は自分の描いているキャラが読者にどう受け取られるかまったく分からない状態で描いているのです。
もちろん作者の側にも、読者にこう受け取ってほしいな~という「願望」はあります。
たとえば「こいつは怖い顔してるけどホントはいい奴なんだよ~、わかってくれよぉ~」とか。
でもそれが読者に通じるかどうかはわからないし、わからんかもしれんから俺は好き勝手に描くぜ!!という感じで、読者になにかを強要するという気持ちはありません。まずその点は了解しておいてください。

指摘で重要なのは「読者が予想したり妄想したりする余裕がない感じ。」という部分でしょうか。
むむむ。言い換えると「読者にとってのいじりやすさ」?
攻殻機動隊風に言うと「枝の多さ」?
う~~~む、ほんとに考えたことのないことなのでいかす回答ができるとは思えませんが…。
まったく虚を突かれたということは、重大な自分の欠点を指摘されたのかもしれない。
しかし欠点だとして、今まで認識していなかったので、どう改善すればいいかもわかりません~。

通りすがりさんのBBSの原文にはザジを例にして、「コマの後ろにちょろっと描いておけば、気付いた読者がキャラの設定付けを盛り上げてくれると思う。」とありますが、あれは演出上必要なシーンだから入れたのであって。
たとえば、僕の机に「ザジの設定書」みたいのが別にあって、そこに「趣味・帽子集め」とか書いてあるからマンガの中に出したわけではありません。
僕は基本的に設定書は作らないし。
と、いいわけを書きながら、なにか根本的に自分がズレてるような気がしてきた。

作者には、自分の作品が他人にどう見えているのかわからないものなんですよ。
どなたか、この謎についてもう少し僕にも理解が進むような解説をしてくれることを望みます。