ページ2 of コスモアイル羽咋訪問レポ


ゆきとぴあオカルトスペシャル2009・秋

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石川県羽咋郡宝達志水町〜羽咋市〜福井県坂井市三国町東尋坊
2009年9月11日〜13日 文・構成 木城ツトム

p011.jpg雨の中山道を登っていくゆきと先生p012.jpgついにモーゼの墓発見か!?p013.jpg…と思いきや、ただの解説用の石碑

しかし臆してはいられない。我々は一抹の不安を感じつつ、雨に濡れてすべりやすい山道を登っていった。雨足はいよいよ強まり、山道は延々と続いている。おいおいこれ、いつまで登るの?……と思った時、やっと開けた場所にたどり着いた。中央には石碑が据えられている。

ついにモーゼの墓発見か!?と思って近づいて見てみたが、石碑にはモーゼの伝説についての解説が書いてあるだけで、これは墓ではないようだ。肝心のモーゼの墓は、さらにこの上にある「3つの古墳」のうちひとつが墓なのだという。要するにモーゼの墓とは単なる「」で、墓石などは存在しないらしい。なんとも拍子抜けなオカルト史跡である。

そもそもこのモーゼの墓、何ゆえ紀元前14世紀に生きたヘブライ人であるモーゼが、日本の北陸にて生涯を終えたのか?これはいったい何を根拠にしているのか?というと、これはオカルトファンには有名なオカルト古文書『竹内文献竹内文書)』に由来している。かつて我々が訪れた青森県の新郷村にある「キリストの墓」も、この『竹内文献』によって成立したオカルト史跡であり、いわばこの「モーゼの墓」は「キリストの墓」とオカルト兄弟史跡と言えるだろう。

p014.jpg山道のかたわらには記帳所がp015.jpgモーゼの墓の見取り図と伝説の説明p016.jpg青森「キリストの墓」には1歩及ばずp017.jpgコスモアイルの看板が現れた

しかし墓のほかにもいろいろと伝承や風習が残っていた「キリストの墓」と比べると、ちょっと物足りなさを感じる「モーゼの墓」。ここはひとつ文句を書いていってやろうと山道わきの記帳所に入ると、そこには驚愕の「モーゼの墓」見取り図が!「或る超能力者が描いた」「モーゼクラブ」などと脳天に突き刺さる強烈な文句が並んでいる。ここだけは実に素晴らしかった(笑)。

もう充分だろうとばかりに山道を下った我々とすれ違いに、なんとこの大雨の中、山道を登ってくる家族連れがいるではないか。こんなオカルトで怪しい史跡が公的な施設として存在し、またこうして観光客が訪れていることに驚きを禁じえないのは我々だけではないだろう。とりあえずモーゼよ、安らかに眠れ

さて「モーゼの墓」をあとにした我々は、いよいよ羽咋市に突入した。目的地の本命、宇宙科学博物館『コスモアイル羽咋』は、ビルなどが建ち並ぶ羽咋市の中心地にある。そこにはいったい何が我々を待ち受けているのか!?

標識に導かれて進んでいくと、公共施設が建ち並ぶ一角に、巨大なドーム状の建物が現れた。その横には「UNITED STATES」と書かれたロケットがそびえ立っている。ここに間違いない、『コスモアイル羽咋』である。この日は土曜日で大雨のせいか、駐車場にはかなりの数の車が停まっていた。外から見ただけでもその規模は福島の「UFOふれあい館」をはるかに上回っているが、すごいことにここは県や市ではなく民間ベースの博物館であるらしい。

p018.jpgついにコスモアイル羽咋に到着p019.jpg中も近代的できれいな作りp020.jpg受け付けの売店には怪しいグッズの数々p021.jpg入り口でさっそく月面車がお出迎え

本館横にそびえ立つロケットは、その大きさから見て、実物を縮尺した模型なのだろうと思った。というのも幼少のころに見に行った東京『船の科学館』の「宇宙博」には、アポロ計画に使われたサターンロケットの実物が展示してあり、その巨大さに圧倒された記憶があったからなのだが……しかしこのコスモアイルのロケットも(1、2段目のみ)宇宙へ行って帰ってきた本物だそうで、有人宇宙飛行の「マーキュリー計画」で使用されたものとのこと。よく見ればロケットのてっぺんのカプセルは、確かにマーキュリー宇宙船である。こんな小さいロケットで宇宙に行ってたのか!

さてカメラ撮影に没頭するゆきと先生を置き去りにし、さっそく本館に突入。受け付けで写真撮影について訊いてみると、アッサリOKとのこと。やっと外の写真撮影を終えた先生が入ってきたものの、今度は入り口にすえてある月面車(アポロ計画で使用されたもの)の撮影を始めてしまってなかなか終わらない。しばらく待たされたあと、ついに「宇宙科学展示室」へ(「コスモシアター」という映像プラネタリウムも別料金で見られるのだが、コドモ向けみたいだったので今回は見送り)。