1990年に乗っていたクルマ of 茶房・風雲庵

〜 1990年に乗っていたクルマ 〜

●トヨタ・ターセル(1990年)

私が免許を取ったのは1989年(平成元年)12月25日、寒いクリスマスの日だった。当時から私はクルマにはあまり興味がなく、年が明けた1990年、まだ中古のタマ数が少なかったホンダ・スティード400というバイクを購入した。初めてのバイクのローン返済のために、私は日立マクセルの工場で夜間アルバイトをしていた。

バイトは夕方6時から深夜0時まで、フロッピーディスクのイニシャライズという工程を行う簡単な仕事だった。買ったばかりのバイクで通勤していたのだが、いかんせん冬の夜中ということもあり、父親が「バイクじゃ寒いだろ。うちのターセルに乗っていっていいぞ」と言ってくれた。

トヨタ・ターセルは父親が親戚から格安でゆずってもらった、なんの特徴もない1.5リッターFFの白い小型セダン(MT)。しかし免許取り立ての私にとっては、コンパクトで非常に扱いやすいクルマだった。

ところが新年早々、朝早く父親に叩き起こされる。何事かと思っていたら「今日の夜は雪が降るぞ。クルマのタイヤをスタッドレスに交換しておけ」と言う。雪が降るなんてホンマかいなと思いながらタイヤを交換し、いつも通り夕方に出勤。仕事を終えて夜中の0時に帰ろうとすると、本当に雪が降っていて、しかも強風で吹雪になっていた。

その時の私は、運転免許を取ってわずか1ヶ月あまり。緊張しながらおそるおそるクルマを走らせていたのだが、前方から吹きつける雪に対し、私は道路を見失わないように走るのが精一杯だった。道を外れて田んぼに落ちてしまうことばかり気にしていて、ついついスピードが30kmくらい出ていたのだろう、突如目の前に左へ曲がるカーブが現れた。

あわててハンドルを左に切ったところ後輪がすべり出し、クルマがスピンしそうになった。今考えると、そのままにしておけば道路上で一回転しただけですんだかも知れない。ところが私はさらにあわてて、右方向に逆ハンを切ってしまった。結果クルマは横すべりの状態で直進し(笑)、カーブの外側にあった深さ1メートルくらいの堀に横向きに落ちた。

クルマはほぼ完全に横倒し状態になったため、運転席から出られなくなった私は助手席から脱出した。そして深夜の雪の中、公衆電話を探してさまよってるうちに、結局家までたどり着いてしまった。翌日、自動車屋にたのんでクルマを引き上げてもらったが、ターセルはそのまま廃車となった。

このターセルは廃車にする前にも、バッテリーを充電しようとして、あやまってスパナで端子同士を直結させて爆発させたり(笑)、乗った期間は短いながらも思い出深いクルマであった。

●ホンダ・アクティバン(1990年)

acti001.jpg2台並んだバイクの奥がアクティ・バンこれまた父親がどこからか調達してきたクルマで、赤というか朱色の軽のワンボックスカー。今調べてみると初代のアクティバンらしく、当時すでに10年くらい経っていた古いクルマだったようだ。

ターセルの次に私が乗っていたクルマだったが、同じ年の夏に悲劇は起こった。昼間にこのクルマで買い物に出かけた際、脇見運転をして、止まっていたバスに追突してしまったのだ。

街中でノロノロ運転だったこと、バスの乗客はすべて降りていたことが幸いして人身事故にはならなかったが、バスのバンパーはべっこりとヘコみ、私が運転していたアクティバンはフロントがブッ潰れてそのまま廃車となった。バスのバンパー代8万円のみで和解となったが、私としても若き日の非常に苦い思い出だ。

●スズキ・アルト(1990年)

alt001.jpgその後もバイクでバイト通いは続けられたが、やはり雨の日などおっくうな日もある。すると父親が「きのう見てきたスクラップ屋に、まだ動く軽のアルトがあるぞ」と言うので、一緒にそのスクラップ屋に行くことになった。スクラップ屋のオヤジの話では3万円で譲るという。

スクラップ屋に行ってみると、落ち葉に埋もれた朱色の初代アルトがあった。このクルマも当時10年近く経っていたと思われるが、ボディもさほど痛んでおらず、エンジンをかけてみるとなるほど調子よい。しかもあと半年分も車検が残っているというので、ならばと買うことにした。スクラップ屋のオヤジはさらに1万円まけてくれて、スクラップ寸前とは言え、わずか2万円(!)で買ったクルマとなった。

初代スズキ・アルトと言えば発売当時(1979年)の新車価格が47万円という安さで話題になったが、このアルトも助手席側のドアに鍵穴がなく、車内のアシストグリップもヘコミはあるのについていなかった。ハンドル横にはでかいスポイトの頭がついていて、これを親指でシュコシュコと押して、ウォッシャー液を人力で吹き出させる仕組みだった(笑)。このようにすごく安っぽいクルマだったが、にもかかわらず木城家ではまだ珍しいAT車だった。

alt002.jpg小気味よく走って調子のいいアルトだったが、しばらく経つと、エンジンがオーバーヒートしてしまうようになった。しかも走っている最中、急に水温メーターが振り切れて止まってしまう。そのせいでバイトに遅れたりしたので、父親に相談してみた。

父親が調べたところ、ラジエターファンを回すプーリー根元のエンジンブロックの継ぎ目から、ラジエターの水が漏れていることがわかった。どうやら継ぎ目のパッキンが古くなり、破れてしまったらしい。継ぎ目パーツを取り外した父親は「ツトム、家から厚紙をもってこい。パッキンなんて厚紙でいいんだ」と言う。マジかよと思ったが、私は言われた通り厚紙をパッキンの形に切り抜いた。父親はその厚紙に耐熱グリスを塗って取りつけ、元の通り組み上げた。これで修理完了。

そうやって「厚紙パッキン」で修理したアルトは、見事オーバーヒートしないで走るようになった。半年後の車検切れとともに廃車となったが、この2万円のアルトが、私が自分のお金で買ったクルマ第1号である。