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富士山・忍野八海ツーリング
山梨県富士吉田市上吉田・富士山五合目 山梨県南都留郡忍野村

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2011年10月27日 木城ツトム

前回の「殺生石・那須高原ツーリング」からずっと風邪気味のままだったのだが、日記にそのことを書いたとたん、体調が良くなってしまった。おりしも天候は爽やかな秋晴れ、ツーリングの好機到来。今回はそのターゲットを日本の象徴、天下の富士山と定めた。

バイクで富士山に行くとなると、行けるのは当然5合目までということになる。実は今をさかのぼること20年近く前、私はユキトプロスタッフ・Aさんと共に富士5合目までバイクツーリングに行ったことがあった。なので今回はもう1ヶ所、富士山のふもと忍野村(おしのむら)にあるという8つの小さな池「忍野八海(おしのはっかい)」も見に行くことにした。この忍野八海というところ、ずいぶん前から一度は見たいと思い続けていた場所だった。

さて今回もまたツーリングのために用意した新兵器がたくさんあるのだが、中でも目玉はふたつ。まずひとつ目はバイク用電熱ジャケットツアーマスター・シナジー』。ジャケット自体が電気で発熱して、寒さからライダーを守るインナーウェアである。昔は真冬の夜中でも革ジャンだけでバイクに乗っていたものだが、やはりトシには勝てず……というか寒くて歯をガチガチいわせながらツーリングしても楽しくないので、超特価セールで売り出された時に迷わず購入。今回のツーリングで使用感を確かめたい。

そしてふたつ目は、これもずいぶん前から知っていて手が出せなかったスポーツ用ビデオカメラ『GoPro モータースポーツヒーロー』をついに購入。バイク走行中の動画を撮影するために今まで買ったカメラ(ペンタックスOptioW90コダックplaysport)は、性能や使い勝手でどこかに不満が残ってしまい、結局このモータースポーツヒーローを買うこととなってしまった。このカメラは名前の通りバイクや車、アウトドアスポーツの動画撮影用でオプション品も豊富にあり、YouTubeにもたくさん動画がアップされている。出始めのころの値段は3万6000円くらいしたのだが、最近はだいぶ安くなっていたので購入に踏み切った。

01.jpg基本装備はいつもと同じファットボブのボブ太郎03.jpg電熱ジャケット「シナジー」の手元コントローラー02.jpgついに購入したGoProモータースポーツヒーロー04.jpgこの日は雲ひとつない超好天。そのためか人が多い

ツーリング当日の27日朝は肌寒いものの、本当に雲ひとつない超好天に恵まれた。前回の「殺生石・那須高原ツーリング」と違って今日は平日だし、うまくいくに違いない。ひとつだけ懸念があるとすれば、今回のルート(常磐道→首都高→中央道→富士スバルライン)の中の首都高の渋滞である。

レトルトカレーで腹を満たし、身支度を整えて朝8時に出発。しかし常磐道から首都高に入ったところの小菅ジャンクションで予想通りの渋滞。小菅を抜けてものろのろダラダラと渋滞が続き、結局首都高から中央道に入るまで1時間もかかってしまった。やはり東京から西に行くには首都高の渋滞がネックになってしまう。

さて革ジャンの下に着込んだ電熱ジャケット「シナジー」は早くも効果絶大、Lowモードでも上半身だけ熱いフロに入っているような気分。愛車ボブ太郎に内蔵されている電熱グリップとこのジャケットがあれば、真冬の相当な寒さでも耐えられそうだ。

中央道に入ると車の流れはスムーズだが、休憩しようとサービスエリアに入ると人でごった返していた。平日だというのに紅葉でも見に行くのか、団体の観光客らしき老人の集団が目立つ。天気がいいのでライダーの姿もちらほらとみられるが、やや肌寒く風も少し強め。私はというと電熱ジャケット+電熱グリップ+ウィンドシールドで死角ナシ。

05.jpg11時ごろ忍野八海に到着。あっちこっち土産屋だらけ06.jpg土産屋とセットになった忍野八海の入り口。せまい07.jpg富士湧水の体験スペース。もう完全に観光地08.jpgわらぶき屋根の古い建物で、のどかな田舎感を演出

そのまま快適に中央道を走行すること1時間半、美しい山並みを抜けるとあっという間に富士吉田に到着。中央道を降りてナビゲーション通り田舎道を走っていると「忍野八海」「駐車場」の看板がちらほらと見え始めた。しかしそんなに大きな規模の観光地ではないはずなのに、やたらとあっちこっちにお土産屋とセットになった駐車場がある。適当なお土産屋の駐車場に入ってボブ太郎を停めると、小屋に「一台300円」などと書かれた張り紙があり、平日なのに駐車番のおじさんまでいる。

おじさんに話を聞くと、そこのお土産屋で買い物をすれば駐車台はいらないという。案内の紙をもらって「忍野八海」へ向かったが、見ると他のお土産屋兼駐車場も同じシステムを採用している。全然人が来ないような秘境の観光地を想像していただけに、この状況には軽いショックを覚えた。

「忍野八海」入り口にもお土産屋があり、ここもまた観光客の老人たちでごった返している。せまい通路を老人たちにはさまれて進むと、わらぶき屋根の民家や木立に囲まれて小さい池が点在している。この直径10mあるかないかの池が8つあるのが「忍野八海」で、はっきり言って強烈に地味な場所のはずなのだが、この日は観光客で大混雑していた。何が観光客を引きつけるのか、連日こんな感じなのだろうか?

10.jpg池の水は恐ろしいほど透き通ったアクアブルー11.jpgなんと人面魚が!??と思って探したが見当たらなかった12.jpg土産屋のあちこちに湧水が飲めるスペースがあるss.jpgうさん臭い雑誌のコピー。商魂たくましすぎて唖然

ところで私がなぜこんな場所に来たかったのかというと、ウチの先生に勧められて読んだ『ダイバーズバイブル』という本の第5巻に「忍野八海」にまつわる話があったからである。この本についてはかつて「恐怖プリーズ」の『絶版怪書録』というコーナーで取り上げたことがあるが、なにぶんこの本はすでに絶版になって久しいので、ここで簡単に話を紹介してみる。なおこの『ダイバーズバイブル』はダイバー向けの実用書であり、本書の中で話者は本名、経歴から顔写真まで載せている。当然話は実話である。

話者のHさんは農業を営む一方、スキューバ歴17年のベテランダイバー。昭和58年ごろ、忍野八海のひとつ「湧池(わくいけ)」の水のきれいさに感動したHさんが村の役場に水中撮影の許可を取りに行くと、撮影ついでに池の中の測量を頼まれる。Hさんが池に入ると、中には前人未到の水中洞窟があり、地下160mまでいったところで巨大な地底湖につながっていた(Wikipedia掲載の涌池地下水脈図はHさんの測量によるもの)。

昭和59年、Hさんの湧池測量の話を聞いたNHKの番組スタッフが、テレビ用の水中撮影のために協力してもらえないかと言ってきた。Hさんは同僚のダイバーと同伴するという条件をつけ、NHKのダイバーと共に再び湧池の水中洞窟に入った。ほどなく撮影は終了し、その時の映像は編集されて番組で放映された。後日Hさんの元に、NHKから編集前のダビング映像が送られてきた。同僚と映像を見ていると、洞窟の途中で突然見知らぬ男の顔が現れ、画面が砂嵐になったかと思うと消えてしまった。何度見ても人間の顔にしか見えず、水中の洞窟でのこと、見間違えるものなど他になかったが「木の根がそう見えたのかも」ということにして、とりあえずその場は収めた。

昭和62年、NHKの番組で湧池のことを知ったテレビ朝日系ワイドショー取材班が、命綱を持たずに湧池に入って事故を起こし、2名の死者を出した。このうちアシスタントPさんの遺体はすぐに見つかったものの、カメラマンKさんの遺体が3日間見つからず捜索は難航。そのころHさんの部屋に見知らぬ男の人影が現れ、Hさんに「迎えに来てくれませんか」と訴えた。その時電話が鳴った。業を煮やした忍野村の村長がHさんに捜索を依頼する電話だった。Hさんはすぐ現場に向かったのだが、二次災害を恐れた警察の意向で湧池に入れず、捜索ダイバーへの助言しかできない。しかもダイバーたちはHさんの推測を聞かず、Pさんが見つかった近くばかり探して8日が無為に過ぎてしまう。結局9日目にHさんが湧池に入って水中洞窟からKさんの遺体を見つけ、翌日引き上げられた。この事故以来、忍野八海に人が入ることは禁止となった——。


……というのが大まかな話の内容である。この話の中の死亡事故を起こしたテレビ朝日系ワイドショーというのは、1987年に放映していた『新・アフタヌーンショー』という番組。この事故の影響もあって視聴率が低迷し、半年で打ち切りとなったという。この事故の件はネット上でも時々話題にのぼるが、上記『ダイバーズバイブル』の話はこの事故の知られざる舞台裏の秘話と言えるだろう。またこの事故が「忍野八海の地下には死んだダイバーのひとりが今でも沈んでいる」というウワサ話を生み、「忍野八海」が山梨県の心霊スポットのひとつにされていたりするのが面白い。