そしてやっと鋸山中腹の「羅漢エリア」に到着。早くも生けるシカバネ状態の私だが、このエリアには「五百羅漢」像があるというので期待せずにはおれない。せまい山道を下っていくと、並べられた石仏群が姿を現した。なるほど1体1体表情が異なっていて見ていて楽しいが、大きさがひとつ30cm程度、大きいものでも50cmぐらいでなんとも迫力がない。いささか拍子抜けしながら道をさらに下ると……ここにも石仏、あそこにも石仏、いつまでも石仏!想像をはるかに超えるとんでもない数の石仏がひしめいているではないか。いったいこの石仏地獄はいつまで続くのかと思ってパンフレットをよく見ると、なんと五百どころではない、その3倍、1500もの石仏があるという!その様相はまさに「石仏サファリパーク」。♪ホントにホントにホントにホントに石仏だ〜〜♪
また道のところどころにある手彫りの石のトンネルが、なんとも非日常的な、ファンタジーな雰囲気を醸し出している。石仏(正確には羅漢、仏教修行者)の集団にはそれぞれテーマがあるらしく、時々キャラの立った石仏があったりして面白い。だがけっこうな数の頭が取れた状態の「首なし石仏」もある。これは明治初期の排仏毀釈の時に破壊された跡なのだという。こんな楽しいサファリパークに、なんと愚かしいことをしたことか!地獄に堕ちろ!
永遠に続くかと思われた石仏群の終わりには、崖の上にひとり寂しくたたずむかわいらしい石仏があった。これはかの聖徳太子の像らしい。そしてその先には石段があり、のぼった上には水がチョロチョロしたたっているだけの「不動滝」というのがある。チョロチョロは別にいいのだが、問題は立て札に書かれたキャッチフレーズ。「茫々たる宇宙人無数」……いったいどういう意味なのだこれは!??
そこからまた地獄の石段をのぼり「羅漢エリア」を過ぎると次は「山頂エリア」。途中に脇道もあるが、すでに体力が限界に近づいているため、ここは一気に頂上へのぼり詰めることにする。ゆるい坂道をのぼって行くと、再び悪夢の石段が姿を現す。すでに下着のヒートテックシャツとその上の長袖は滝に打たれたように汗でビシャビシャ、心臓はバクバク。この日は平日だというのにけっこう他の参拝客もいて、特にお年寄りの姿が目につく。まさかお年寄りに負けるわけにもいかず、必死の形相で痙攣した足を上げ続ける。そしてついに山頂にある展望台にたどり着いた。
山頂は岩が垂直に切り取られた崖になっていて、1ヶ所だけ、垂直の崖から空中に岩が突き出ている。これが鋸山・日本寺最大の見せ場である「地獄のぞき」。鋸山の周囲には高い山がないので、ここからは房総半島と東京湾の雄大な景色が大パノラマで楽しめる。特にこの日のような天気のいい日は最高の眺めだ。素晴らしい景色に疲れもふっ飛ぶ。
ひとしきり景色を堪能した後は、石段を降りて「地獄のぞき」の真下へと向かう。ここには岩に掘られたレリーフ状の「百尺観音」がある。百尺という名前からして大きさは約30m、完成したのは昭和41年と比較的新しい。ちなみに広場にあった巨大な「日本寺大仏」は江戸期の1783年(天明3年)に完成、しかし長年の風雨にさらされて崩壊状態にあったのを、やはり昭和41年に修復したらしい。また昭和14年には参拝客による火の不始末で山にあったかなりの建物が焼失したらしく、あちこちにそのことが書かれた注意書きの看板があった。
山の中腹にあった1500もの「五百羅漢」像は江戸末期、実に21年もの歳月をかけて作られたとのことだが、この日本寺の歴史はそんなものではなく、開山はなんと今から約1300年も前の725年(神亀2年)!! 時の帝から「日本」という言葉を使ってもいいぞ、と言われたために名前が「日本寺」となったという、実に由緒正しいお寺だった。かの源頼朝や足利尊氏がこの寺を訪れ、復興に尽力したという。また空海が立ち寄って大黒天を掘り残したという話もある。空海はホントどこ行っても出てくるなぁ。