ページ2 of 茶房・風雲庵

日帰り三笠公園+α
三笠公園(神奈川県横須賀市)
定泉寺(神奈川県横浜市田谷町)

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2010年4月21日 木城ツトム

通路を歩いてぐるりと回ると、艦中央の操舵室に入る。ここも資料室になっており、当時の遺品や船の模型、また日露戦争の決戦となった日本海海戦を電動のパノラマ模型図でわかりやすく解説している。

13.jpg通路はまるで学校の廊下のように整然とした造り14.jpg三笠のかじがある操舵室は現在資料室に15.jpgバルチック艦隊との海戦をパノラマ模型で再現16.jpg大国ロシアを相手に、日本は一方的な大勝利

※動画に問題ある様でしたらご報告ください。すぐに削除します

私は特に軍事マニアでもファンでもないので、「日露戦争」と言っても漠然と日本の艦隊がバルチック艦隊を破った、くらいにしか知らなかったのだが、当時の状況を詳しく知るとなかなか面白い。

そのころの戦艦というのは(前ページの通り)横っ腹に大砲が並んでいたため、進行方向に撃つより横に向けて撃った方が攻撃力が高い。そこで日本海軍はロシア・バルチック艦隊に対し、敵艦隊の進行方向をさえぎって横っ腹を見せて攻撃するという「丁字戦法」を選択。この時、日本艦隊の旗艦・三笠は敵の目前で艦隊の進行を反転させるという有名な「トーゴー・ターン」を行った。「トーゴー・ターン」と言っても別に東郷平八郎の番という意味ではなかったのだ(私は単にUターンしただけなのかと思っていた)。

敵の目前で旋回するというのは素人目に見ても危険に感じる(やはり当時の戦術としても突拍子もないやり方だったらしい)が、当時はレーダーなどというものがなく、敵船に砲撃するには、目測で敵船の進行方向に向かって撃っていた。そのために旋回していると目標の位置が定まらず、旋回が終わるまで撃てなかったらしい。戦争とは言えアナログ的な風情が感じられる。

参考資料:Wikipedia 日露戦争日本海海戦

17.jpgここから先は上級士官専用のエリア18.jpgタンスの鏡でセルフ記念写真をパチリ19.jpg士官用のバスルーム。映画に出てきそうな雰囲気20.jpg会議スペース。奥に機関砲があるのが唐突すぎる

結果、当時最強の艦隊と呼ばれていたロシア・バルチック艦隊の19隻を撃沈、残りもだ捕するなどして完全勝利を収めた。単なるアジアの1小国でしかなかった日本がロシアを破ったというのは、世界中に相当なインパクトを与えたらしい。アジアや中東諸国、また西欧の弱小国(フィンランドなどロシアに苦しめられていた小国)には痛快な、西欧列強には衝撃的ニュースとして伝えられたとのこと。この時の勝利がなかったら、今の日本も相当変わっていたかも知れないと思うとなかなか感慨深い。