一般道をしばらく走り、東北道に入って少し北上すると、那須塩原市に入った。古い温泉街のせまい道を走って、ほどなく『源三窟』に到着。実はこの洞窟、訪れたのは今回が2回目である。今から20年以上前、木城家一家4人で塩原に温泉旅行に行った時、軽い気持ちで入った洞窟だった。しかし今となっては記憶もあいまいだったので、今回再び訪れてみたのである。
けっこう広い駐車場から階段を上ると、崖の上に入場券売り場がある。ここで入場料を払うと、洞窟に入る前に売り場の横のベンチに座って、店員のおじさんの歴史解説を聞く。平家と源氏の時代、平家を滅ぼした源頼朝に追われることになった源義経の腹心、源有綱(みなもとのありつな)が家来とともに隠れ住んだのがこの『源三窟』。しかし洞内で研いだ米の研ぎ汁によって頼朝軍に見つかってしまい、割腹に追い込まれたという悲しい伝説が残っている場所だ。
悲しい歴史秘話を聞いた後、いよいよ洞窟に入ると、いきなり待ち構えるのがなぜか一休さん人形。自動音声で米の研ぎ汁で敵に見つかった話をするのだが、話のオチは「まあ、ボクなら無洗米を使いますけどね!」いやいやいや……有綱に呪われるぞ一休。
階段を下りていくと、米を研いでいたり、洞内での暮らしを再現した武者人形が展示されている。自動音声で「ここでの暮らしはつらいのう……もう洞窟に入って何年になるか」などとしゃべっている。途中には小さい鍾乳石や、コウモリ穴などもあるものの、上ったり降りたりして10分ほどで終わり。いわゆる「鍾乳洞」というほどの規模はなく、あくまで史跡なので、洞窟そのものを期待するとガッカリしてしまうだろう。
だが『源三窟』の本当の見所は、洞窟の後の「武具資料館」だ。展示物の時代はバラバラだが、たくさんの甲冑や刀剣類、火縄銃や大砲、大名カゴや印籠まで展示されていて見応えがある。特に個人的に注目するのは、この洞内で見つかったというボロボロの甲冑である。
昭和の時代、科学雑誌の編集長という男性がここを訪れ、このボロボロの甲冑を写真に撮った(当時は発見場所の、洞窟内のガラスケースに展示されていた)。すると、甲冑の背後に鎧武者の亡霊が写っていた。幽霊など信じていなかった男性は動揺し、調査したものの写真に不審な点は認められなかった。昭和48年、テレビ番組でこの甲冑が取り上げられ、霊媒師が武者の霊を呼び出したり、「あなたの知らない世界」でおなじみ新倉イワオ氏が調べたりしたらしい。
亡霊騒ぎの真偽はともかく、歴史的背景(あくまで伝説だが)やボロボロな甲冑の様子は、なかなかのオカルト的風情を感じることができる。この甲冑の存在のために、『源三窟』は塩原の心霊スポットになっているらしい。