ページ2 of 茶房・風雲庵

バイク神社・源三窟ツーリング
栃木県塩谷郡高根沢町・安住神社
栃木県那須塩原市・源三窟
栃木県那須塩原市・ピラミッド元氣温泉

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2017年6月20日 木城ツトム

09.jpg参拝記念用の顔ハメパネル。この神社は、商標を取得したバイク神社第1号10.jpg一見ふつうの札所の裏に回ると、ライダー参拝者の写真が大量に貼られている11.jpgヘルメットをつけた黄色いテルテル坊主がお守りでもあり、この神社のマスコット12.jpgこの神社の「裏本尊」と言わんばかりの迫力の、木彫りのテルテル坊主像
13.jpg安住神社の本殿はこちら。敷地のはじっこにあるため、正直あまり目立たない14.jpg続いて塩原温泉街にある『源三窟』に到着。風光明媚な古びた温泉街にある15.jpg車20台くらい停められる駐車場から、階段で崖の上に上ったところが入り口16.jpg入場券売り場の横が入り口だが、まずは手前でおじさんの歴史解説を聞く

一般道をしばらく走り、東北道に入って少し北上すると、那須塩原市に入った。古い温泉街のせまい道を走って、ほどなく『源三窟』に到着。実はこの洞窟、訪れたのは今回が2回目である。今から20年以上前、木城家一家4人で塩原に温泉旅行に行った時、軽い気持ちで入った洞窟だった。しかし今となっては記憶もあいまいだったので、今回再び訪れてみたのである。

けっこう広い駐車場から階段を上ると、崖の上に入場券売り場がある。ここで入場料を払うと、洞窟に入る前に売り場の横のベンチに座って、店員のおじさんの歴史解説を聞く。平家と源氏の時代、平家を滅ぼした源頼朝に追われることになった源義経の腹心、源有綱(みなもとのありつな)が家来とともに隠れ住んだのがこの『源三窟』。しかし洞内で研いだ米の研ぎ汁によって頼朝軍に見つかってしまい、割腹に追い込まれたという悲しい伝説が残っている場所だ。

悲しい歴史秘話を聞いた後、いよいよ洞窟に入ると、いきなり待ち構えるのがなぜか一休さん人形。自動音声で米の研ぎ汁で敵に見つかった話をするのだが、話のオチは「まあ、ボクなら無洗米を使いますけどね!」いやいやいや……有綱に呪われるぞ一休。

17.jpgいよいよ源三窟へ突入。非常に立派な入り口だが、洞窟内はめちゃくちゃせまい18.jpg洞窟の入り口で待ち構えるのは、なぜか一休さん。自動音声で解説してくれる19.jpg米を研いでいる武者人形。ここでの研ぎ汁が川に流れ、追っ手に見つかってしまう20.jpgこの洞窟に隠れ住んでいた、源有綱(みなもとのありつな)とその家来たち
21.jpg洞窟内に成長した鍾乳石。ほかの鍾乳洞に比べ、ここの鍾乳石は非常に小ぶり22.jpgせまい通路が上下左右と立体的に続く。照明のない昔は歩くのも大変だったろう23.jpg源有綱が再起を図る図。有綱がこの洞窟に隠れたというのは、あくまで伝説24.jpg有綱のいさましい甲冑姿だが、結局洞窟内で見つかって自害に追い込まれた

階段を下りていくと、米を研いでいたり、洞内での暮らしを再現した武者人形が展示されている。自動音声で「ここでの暮らしはつらいのう……もう洞窟に入って何年になるか」などとしゃべっている。途中には小さい鍾乳石や、コウモリ穴などもあるものの、上ったり降りたりして10分ほどで終わり。いわゆる「鍾乳洞」というほどの規模はなく、あくまで史跡なので、洞窟そのものを期待するとガッカリしてしまうだろう。

だが『源三窟』の本当の見所は、洞窟の後の「武具資料館」だ。展示物の時代はバラバラだが、たくさんの甲冑や刀剣類、火縄銃や大砲、大名カゴや印籠まで展示されていて見応えがある。特に個人的に注目するのは、この洞内で見つかったというボロボロの甲冑である。

昭和の時代、科学雑誌の編集長という男性がここを訪れ、このボロボロの甲冑を写真に撮った(当時は発見場所の、洞窟内のガラスケースに展示されていた)。すると、甲冑の背後に鎧武者の亡霊が写っていた。幽霊など信じていなかった男性は動揺し、調査したものの写真に不審な点は認められなかった。昭和48年、テレビ番組でこの甲冑が取り上げられ、霊媒師が武者の霊を呼び出したり、「あなたの知らない世界」でおなじみ新倉イワオ氏が調べたりしたらしい。

亡霊騒ぎの真偽はともかく、歴史的背景(あくまで伝説だが)やボロボロな甲冑の様子は、なかなかのオカルト的風情を感じることができる。この甲冑の存在のために、『源三窟』は塩原の心霊スポットになっているらしい。