昇龍の年、1988年〜同人プロジェクト「しゅらの国」
1988年8月〜1989年3月


きっかけは、ツトムとの冗談から始まった。

土浦勢が「プロになるんだ〜」と大言壮語しておきながら、なかなか自分たちの作品を作らないことに関して、僕とツトムは歯がゆく感じていた。
土浦勢が「米ケット」を開催し成功させたのは立派だったが、当時の僕とツトムの価値観からすれば、「米ケット」を何回開催したところでプロにはなれない。
とにかくたくさん実際の原稿を描き、場数を踏まなければならない。
土浦勢が企画した同人誌も、ほかの寄稿者の原稿に頼ってばかりで、肝心の本人たちはほとんど原稿を描かない。
(この時点で、約1年前に僕が寄稿した短編「アイアンフィスト」が載るはずの同人誌「加油」はいまだ発行されていなかった。)

奴らがやらないのなら、俺たちで同人誌を作って、強制的に奴らにマンガを描かせたらどうだ?
「しゅらの国」全6冊。
その場の勢いで話がまとまり、強制合宿型同人プロジェクト「しゅらの国」を開始することになった。
指名した6人の執筆者によって毎月、6ヶ月にわたって同人誌を刊行し、終了後に各人の作品をまとめて6冊の単行本にする。
恐怖の「666プロジェクト」の始まりである。


「しゅらの国」イメージトラックのために描いたカセットジャケット用イラスト。
編集長は木城ツトム。
アートディレクターを木城ゆきとが担当。
作品はパロディものは認めず、すべてオリジナル作品のみ。
指名執筆者6名とその連載作品は以下の通り。

木城ゆきと(当時のペンネームはPEN・OU) 「BUGBUSTER」
木城ツトム 「万屋百万年」
市村聡 「奇譚・ハエ男のたたり」
米田米 「Rouge Knight」
大貫秀 「Peace Bird」
まりのいつき 「DUSH!」



裏表紙の邪悪なツトムによる序文。
「ようこそしゅらの国へぢゅ!今や同人誌界はご存じの通りアニパロのはびこる乱世となっておるぢゅ!
我らはオリジナルの栄光を再びとりもどすため、パワーを身につけねばならぬぢゅ!そのためには修羅場を踏む以外に方法はないぢゅ!
ようこそしゅらの国へ!!戦いは始まったばかりぢゅ!!」


「BUGBUSTER」イメージサウンドトラックのカセットジャケット用イラスト。本編制作前に作ったもの。当時はこうして作品に合うと思う曲を集めたテープをよく作った。
僕は本来プロデビュー活動に集中しなければならない時期だったのに、言い出しっぺの責任もあって「BUGBUSTER」(バグバスター)の連載を始めてしまった。
ボクシングにたとえると、モスキート級のアマチュアの合宿にヘビー級のプロボクサーが混じっているようなもので、大人気ないことこの上ない。

「BUGBUSTER」はヒロイック・ファンタジー風アクションSFで、「怪洋星」とは一転してわかりやすいエンターテイメント作品。
後にオフセット印刷で再販され、一時「ゆきとぴあ」で販売していたこともある。(現在は在庫なし)

「BUGBUSTER」最終回執筆時(1989年1月)の貴重な写真。

劇中に登場するレヴァイアサンの粘土モデル。

劇中に登場する「メタル神話」の絵を市村君に頼んで描いてもらった。これはその原画。

西日が差しこむ当時の部屋。机は小学校入学時のもので、これを旧銃夢連載時の95年まで使った。

市村君の傑作「奇譚・ハエ男のたたり」第1話トビラ絵。
この「しゅらの国」プロジェクトによって一番大きく化けたのは、「奇譚・ハエ男のたたり」を描いた市村君である。
市村君は先の米ケットで発売した同人誌「地球光」に初めてのストーリー漫画作品を描いたばかりの初心者で、このメンバーの中で一番キャリアがない。
にもかかわらず、「奇譚・ハエ男のたたり」は卓越したストーリーテリングと主人公・花岡ヒロシの強烈なキャラクターによって、僕の「BUGBUSTER」をしのぐ大人気を博した。
天才・市村サトル恐るべしである。


いろいろあったものの、怠惰だった土浦勢もがんばって6ヶ月の連載を乗り切った。
僕はこの「しゅらの国」を最後に、すっぱりと同人活動とは縁を切り、その後のプロデビュー活動に専念することになる。
大学に行っていない僕にとって、このときの事は青春のいい思い出となった。