昇龍の年、1988年〜私は天才を見た!
1988年 1月
新聞奨学生から帰還した2年間。
僕はベトナム帰還兵のごとく鬱屈した気持ちと焦りを抱えたまま雌伏の時を過ごした。
まあぶっちゃけて言えばプータロー、今で言うフリーターである。
昨年(1987年)、親戚の叔母さんから檄文をもらった僕は、88年こそは世に打って出ると誓った。
十二支でいう辰年、イヤー・オブ・ザ・ドラゴンにあたる1988年。
この年は僕にとって忘れがたい年となった…。
それまでに蓄積していたものが一気に花開き、まさに黄金時代といえる一年だった。
年明け早々、新たな出会いがあった。
ツトムの高校の友人、市村サトル君である。
彼の作った小雑誌「少年科学」第1号を見て以来、「この男はただならぬ才能の持ち主だな」と感じ、さらにツトムからの話を聞いてその思いを強くしていた。
僕の手元に残っている「少年科学」各号。(写真をクリックすると拡大します。)
※ツトムと市村君の出会いについては、「怪奇・筑波総合研究所 第一章/接触」に詳細がある。
基本的には人嫌いの僕は、めったなことでは赤の他人に会ってみたいなどとは思わないのだが、市村君には是非会ってみたいと思い、会談が実現した。
市村君はひょうきんな男なのだが、そのユーモアの端々に知性とセンスが光る。
どこまで本気でどこから冗談なのかまったくわからない。
発想が豊かすぎて、何を言い出すのかまったく予測がつかない。
常にハイテンションで、落ち着きがなく、ちょっと目を離すとそのへんに落書きしたりする。
僕がそれまでの20年間の人生で、まったく会ったことのないタイプの人間で、とにかく田舎の高校生とは思えない異能の男なのだ。
後に市村君の家庭環境を聞いても、特に恵まれた家庭でもなく、田舎のありふれた一家のようだった。
そのような環境から彼のような人間が出現するのは、謎と言うしかない。
僕が直に会った人間で、他人の才能に恐れをなしたのは彼が初めてだ。
それまで、「天才」というものはマンガの中にしかいないものだと僕は漠然と思っていた。
「リングにかけろ」の剣崎みたいに、スカしたいけすかない野郎。そんなの現実にいるわけね〜だろ、そう思っていた。
環境が人間を作ると思っていた。
しかしそのような僕の思い込みは、市村君という存在の前に粉々に打ち砕かれた。
すがすがしいほどに粉々になった。
認識に風穴があいた。
風穴の向こうに光が見えた。
世界は、僕が思っているよりもはるかに意外性に満ちていたのだ。
「人間って、なんて面白いんだろう」
素直に、そう思った。
市村サトル作「ゆきとの肖像」