昇龍の年、1988年〜「怪洋星」執筆
1988年 2月〜3月


天才・市村君との出会いに刺激を受けた僕は、猛然と勝負ダマ…持ち込み用短編作品の制作に取りかかる。

前の年から温めていたアイディアが二つあった。
ひとつは海を舞台にしたサイボーグ潜水夫の狂気を描くサイコホラーもの。
もうひとつが空中都市から飛行機を作って脱出を試みる少年たちの話。

正反対のトーンの話である。
どちらも今まで僕が描いたことのない、未知のレベルの表現力を試される物語だ。
しかし、今の自分なら描ききれる…そういう確信めいたものがあった。

二つの候補のうち、どちらから先に描いてもよかったのだが、自分の潜在意識の欲求に従い、より難易度の高いと思われたサイコホラーものの方を先に描くことにした。

絵コンテは、まったく推敲することもなく一気呵成に描き上げた。
描く前から、白紙の紙に絵が「見えて」いた。
今では一年に数回しかない、絶好調の時の状態が、この年ははじめから全開だった。
「怪洋星」スケッチ。(写真をクリックすると拡大します。)

この頃はまだ画用紙にGペンによる作画である。
むろんアシスタントなど一切使わず、朝から晩まで部屋にこもって作品を描く。
床についても興奮してあまり寝られず、すぐに起き出して描く。
テレビも見ず新聞も読まず(この頃はゲーム機もない)、すべての欲望が作品を作るという一点に集中していた。

まったく未知の領域の表現に挑んでいるとき、心臓は息苦しいほどに高鳴る。
この創作の快楽をなんと表現したらよいものか。
この燃えるような喜びを一度知ったら、ほかの遊びなど半分死んでるようなものだ。

睡眠不足で一人部屋にこもって制作に没頭する日が何日も続くと、どんどん頭はハイになり、感情は高ぶり常軌を逸した精神状態になっていく。

誰も見たことのない物語を、世界で一番最初に俺は見ているのだ!
昨日まで影も形もなかったものを、俺がこの手で現実化させているのだ!
見ろ、今まさに、俺の指先から新たな現実が生まれ出ている!
今はこの物語を見ているのは俺一人だが、これを世間の人間が見たらあっと驚くだろう!
いや、驚くだけで済むはずがない…。
この物語を発表した暁には、世界は一変してしまうのだ!
思えば、長かった。
大学ノートの落書きのようなマンガから始まり、今俺は、ついに世界の頂に挑むような作品をものにしようとしている!

感動のあまり僕は泣いた。
喜びの涙を流しながら描き続けた。
制作に入って4週間あまり、ついに短編「怪洋星」は完成した。

「怪洋星」の制作は1988年2月10日〜3月11日。
…傑作ができた。
自分が今まで描いた作品の中で、作画の質、ストーリー、構成、テーマのオリジナリティ、いずれも群を抜いている。
「気怪」の頃、あれほど不足に苦しんだ「構成力」が、今回は大きな力となっている。

この頃、僕以外の最初の読者はいつもツトムであった。
ツトムのファーストインプレッションは最高評価を獲得した。
その後、後輩たちにも回し読みさせ、恐怖のどん底にたたき落とした。

自信をますます深めた僕は、世界制覇への第一歩を踏み出す。
「気怪」の時の少年サンデーの担当編集者に4年ぶりに連絡を取り、持ち込んで作品を見てもらうことになった。

フッ。俺は以前の俺とは違う。
これを見てひれ伏すがいい!
自信満々に編集者に原稿を見せる僕。

だが編集者の反応は、まったく予想外のものであった。

原稿を読み終わった編集者は、困ったような表情を浮かべ、こう言った。
「少年マンガ向きじゃないなぁ〜」

……な、なにいっ!?
一体何を言っているんだこの男はっ!?

少年誌に「デビルマン」や「漂流教室」が載っていた70年代のころのまま認識が止まっていた僕は、まったくあっけにとられた。

しかしサンデーの編集者は「怪洋星」の質が高いことは認め、社内で検討してみるから、と言って原稿を預かった。
作品を批判されたのなら怒ることもできるのだが、内容そのものについての評価はなし。
怒ることもできず、この後どうなるのかの展望も持てず、宙ぶらりんの気持ちのまま、僕は手ぶらで帰路についた。

おかしい。
今頃は世界が一変しているはずじゃなかったのか?
まったくいつもと変わらんのはどういうわけだ?

木城ゆきと21歳。
現実を思い知るのはもう少し後のことである。

※「怪洋星」は木城ゆきと初期作品集「飛人」に収録されています。