第 一 章 / 接  触

湖の出現

1986年。
その年の夏は、ただ暑かったと記憶している。

8月4日の夜は、雨が降っていた。土砂降りだったが、まぁ、大騒ぎするほどのさしたる大雨でもない。いつもより気温が低かったのだろうか、私はぐっすりと眠っていた。

晴天となった翌日、筑波を望む家の裏手の広大な水田地帯が湖と化していた

「湖」という表現は、まったく大げさではない。歩いて回れば何時間かかるかわからないほどの広さの水田地帯が完璧に水没したのである。水は実家の200mほど手前で止まっていて、からくも被害は免れたのだった。

私は兄と二人でゴムボートを引っぱり出し、地図には載っていない湖に乗り出した。




長そでのシャツ

木城家は茨城県の南西部、下妻市(しもつまし)に居を構えている。

同じ市内に親戚が経営するレストランがあり、旅行か何かで母親がいなかったため、その日の夜は私と兄と親父の三人でそのレストランに行くこととなった。
おきまりのクリームソーダとあまーいカツカレーで腹を満たしたはいいが、親父が厨房で手伝いを始めてしまい、いっこうに終わる気配がない。
いいかげんつき合いきれなくなり、ふてくされた兄と私はレストランを後にして、歩いて帰ることにした。

帰路の途中、先日に決壊した小貝川にかかる橋を通った。

ふと見ると、街路樹と街路樹にそでをしばりつけた格好で、汚れて灰色になったシャツが掲げられている。妙な光景である。
シャツには、筆書きによる達筆な字が書かれている。大きく真ん中に「台風十号」とある。が、それ以外の文字がいまいち判別できない。風雨にさらされているためだ。
それでも、なんとか読める部分だけ読んで推測してみた。ある人の「死」が、今回の台風十号による小貝川決壊と結びついている。そんな風に読める。

「誰かを村八分にしようって事なんじゃないのか?」

兄は苦い顔をしてつぶやいた。確かに、ここ茨城はそうした事が起こりかねない土地柄だ。歴史が古く、地元民は封建的である。

にしても、シャツに筆書きして街路樹にしばりつける、という表現方法がなんとも奇怪である。
裏の世界に潜む怨念がひょっこり表に出てしまったかのような、それを今かいま見てしまったかのような、なにか、見てはいけないモノを見てしまったかのごとくである。

奇妙なモノを見た興奮と、なにかすっきりしないモヤモヤした感覚を一緒に胸につめたまま、二人はその場を後にした。

その後しばらく、シャツはそこにかかっていた。




ガードレールの矢印

兄の木城ゆきとはその当時、マンガを描いては出版社に持ち込みをしていた。
私は学校、両親は仕事で家を空けており、一人静かに机に向かう事ができる。

しかしそれでは体がなまると言いだして、突然ランニングを始めた。毎日、腹筋もやる。プロテイン粉末を購入して、牛乳で割って飲む。あげくに凍り豆腐を大量に買い込み、コーヒーにつけて食う。だが、「凍り豆腐のコーヒー漬け」だけはすさまじくマズいのでやめた。そんな日々が続いていた。

ある日、兄はいつものように水田沿いの道路をランニングしていた。おきまりのコースであるその道の景色はいつもと変わらない、田んぼと畑と、その合間に点在する民家が見えるばかりである。
経営しているのかどうかもわからない、うらぶれたホテルの横を走っているとき、ふと道路わきのガードレールが目に入った。黒いスプレーで矢印が描かれている。

暴走族連中か。まずはそう思った。矢印の先は、ぼうぼうに伸びた雑草がガードレールを隠している。そこにも、どうも何かが書かれている。ふと足を止めて、雑草の裏をのぞき込んだ。

「死」「台風十号」「小貝川決壊」

赤と黄色のスプレーで、見覚えのあるフレーズが書かれていた。

その時になってやっと、得体の知れぬ「闇の存在」がしきりに何かを訴えようとしている、という事に気づいた。




科学部SF科

筑波山の山麓に建つ、その名も筑波高校に入学した私は、まずは美術部に入部した。

ところが、美術の講師は週3日しかいない。その3日は、力士のごとき太った女の先輩方のお茶会である。まったく絵を描こうとする気配がないので、私はばかばかしくなり、授業が終わるや早々に帰宅して趣味のマンガ描きに没頭していた。

その年('86年)の暮れに行われた文化祭で、何本か描いたマンガをコピーして一冊にまとめたものを机に並べ、ひとり寂しく売っていた時だった。

私と同じクラスで科学部に在籍している島田が現れ、本の値段が高いだの何だのとさんざんゴタクを並べたあと、これをその本のオマケとしてつけろ、となにやら妙なモノをいくつか置いていった。

どうやらそれも本らしいのだが、各ページの大きさはガタガタで、ホチキスははずれかかっている。昭和初期の子供向け科学雑誌のごとき書体で、「少年科学」と書かれている。中を見ると、小貝川決壊の時の街の写真がたくさん載っている。映画についての部員の対談が、ヘタな手書き文字で記されている。科学部顧問と思われる教師のマヌケな写真も載っている。

この本とも言えないような小冊子を目の当たりにして、私は感動を禁じ得なかった。文化不毛の地と思っていたこの高校にも、本を作って配る奴らがいたのである。

私はすぐに科学部の連中、とりわけリーダー格の市村サトルと意気投合し、そのころすでに制作が始まっていた『少年科学2』の製本を手伝うようになった。後には科学部へ移籍した。

『少年科学2』の特集は三原山噴火('86年11月)の新聞記事の丸写しだったが、エッセイや4コママンガなどのオリジナル要素が加わり、前作に比べ、本としての完成度は見違えるほど高くなっていた。コイツらは本気だ、と私は思ったものである。




不気味なカンバン

実家から筑波高校までの8kmの道のりの間に、1本の道が2本に分岐するY字路がある。

その道の合流地点にある1本の背の低い松の木は、昔、自動車が突っ込んで運転手が死亡した……などといういわくのある木だったのだが、ある時期からそこに不気味な手書きのカンバンが立てかけられていた。
「触手すれば災死至る」と断り書きされた下に、スプレーとペンキで書かれた例の文字列が並ぶ。

「重要文化財」「台風十号」「竜神」

見慣れない文字列も続く。

「鳥羽淡海」「北畠親房」「NX法そく」

そして、それら文字列の上にはこう書かれていた。

「筑波総合研究所」




科学部出動

科学部SF科のメンバー5人は、強い夏の日差しに汗を流しながら、筑波高校から下妻方面へ自転車を走らせていた。時に1987年7月22日。

その目的は、謎の研究機関「筑波総合研究所」の実態調査である。

科学部SF科の部活動の発表媒体である『少年科学』の特集の題材として、これほどのネタが他にあるだろうか。たかだか高校生が作る本にとって、望むべくもない最高のネタに巡り会った予感が私にはしたのである。そのことを私はメンバーに話し、次回の『少年科学』で取り上げることを全員一致で決定したのだった。
私は自転車の上で汗だくになりながら、期待と不安が同時に高まっていくのを押さえることができなかったことを思い出す。

ほどなく、手書きのカンバンがあるY字路へ到着した。
私と同じく下妻方面から登校する島田以外、みな初めて目にする奇怪なオブジェである。
とはいえ、私もいつもは自転車で通りすぎる際にチラリと目にするだけだったので、足を止めて観察すると不気味さはひとしおである。

形式的な関東地方の地図が記され、「ツクバ」と「フジ」、「アサマ」と「ミハラ」がそれぞれ直線で結ばれ、十字を描いている。漢字でたくさんの文字が書かれているのだが、達筆ゆえか当て字なのか、読むのに苦労を強いられる。

結局、カンバンをにらんでいるだけでは「筑波総合研究所」が何を訴えたいのかは理解できない。カンバンに顔を近づけて見ていた時、裏にも何かが書いてある事に気がついた。ハイフンで区切られた数字の羅列……、どう見ても電話番号である。とすれば、研究所の電話番号としか考えられない。メンバーの人間ワープロ、小神野(おかの)に命じてノートに写させた。

研究所についてメンバーがあれやこれや話したり写真を撮ったりしている間、島田は一人10mほどはなれた場所にある自動販売機の前で、冷えたコーヒーで喉をうるおしていた。

「おーい、ちょっと来てみー」

島田の声に反応して我々が移動してみると、自動販売機から少し離れた所にも例のオブジェがあった。通学に使わないもう一方の道である。
こちらの方は、廃材になった小型の冷蔵庫が使われていた。脇には竹の棒が立ち、工事用のヘルメットがかかっている。ここも奇怪な書き込みが目を引いた。

「奉納」「台風十号」「北畠神社」「婆華祭」

ここまでの時点で、少なくとも私が目にした「筑波総合研究所」の手によると思われるカンバンやシャツ、ガードレールへの書き込みは半径2〜3kmの地域に及んでいた。
この守備範囲の広さや廃材の材料調達の労働力、そして書き込みにかかる手間を考えれば、当然相手は複数人の団体であろう。そう考えるのが妥当である。

だが、この団体は結局「何をどうしたいのか」がさっぱり見えてこない。相当な労働力をカンバンやガードレールの書き込みなどの「宣伝」に費やしているが、肝心の研究はおろそかにならないのか? そもそも、これが職業なのだろうか?
そういった事を私と市村サトルが話している時、冷蔵庫を見ていた島田が叫んだ。

「矢印が書いてあっけど…、あ、あそこにもカンバンがあるぜ! あっちに行けっていうんだ!!」

見れば、冷蔵庫から道をはさんで細い砂利道が奥へと続いている。
両脇が雑草で目の高さまで覆われて見通しがきかなくなった砂利道は、50mほどでT字路に突き当たっており、突き当たりに建つ電柱には例のカンバンがくくりつけてあるではないか。
急いで行ってみると、そのカンバンには地図らしきものが描かれている。

どうやら、このすぐ近くに「筑波総合研究所」そのものがあるらしい。にわかに緊張が高まってきた。

だが、相当にわかりにくい地図だ。現在位置が把握できない。よくわからないまま突き当たりを左に曲がってみた。家が何軒かあるのだが、どうやら普通の民家である。
しかし、昼間だというのに人の気配がなく、場所に活気が感じられない。

この地域一帯は、どうも一度は住宅地として土地が整備されたようなのだが、家がまばらに建つ以外は雑草が伸び放題の空き地がほとんどであり、中には最近まで人が住んでいたと思われる空き家まである。

とにかく、研究所らしき建物は見あたらないのでカンバンまで戻り、左が違うのなら右しかないということで、我々は反対方向の道を歩きだした。
せり出した雑草で砂利道はいよいよ狭まり、途中に点在する人気のない民家や庭の荒れた空き家が我々の不安をつのらせる。

100mほども歩いたろうか、砂利道が左に曲がっていた。
我々5人は、何かに導かれるようにその角を曲がった。

以下は、市村サトルの記述である。




研究所到達

1枚の奇怪な看板から、我々“科学部隊SF科”は想像を絶する怪異な世界に足を踏み込んでしまった。――もはや後戻りはできない。このような光景を目の当たりにしてしまっては!

…いやはや、なんということだろう。はたして、これは現実なのだろうか?

一面の奇怪な創造物、それらには例外なくびっしりと不可解な文字が記されている。あるものは先ほどのような冷蔵庫が使われ、あるいはどこからか持ってきた古いベニヤ板、木製の杭、その他こまごまとした、主に廃材利用の制作品であった。

向き合って2件の住宅があったが、右手の家を中心に創造物が広がっているので、問題の研究所がそれだとすぐに分かった。

「すごい……」

小声ながら口々に驚嘆の声があがり、しかし誰も近寄って見ようとはしなかった。
山本氏は青い顔をして小神野氏の後ろに引っ込んでしまっている。と、そのとき、私(市村)は向かいの家の今まで細く開いていた窓がすばやく閉まるのを見た。

「あ! あの窓……」

と言ったが、私の他、それに気づいてはいなかった。だがそのすぐ後、家の方から不気味な、人とも獣ともつかぬような、ひどくしわがれた鳴き声が聞こえたのには、みな沈黙で反応した。

「何だ、今のは?」木城氏が言った。

「犬でしょう。きつめの首輪をはめた」と私。

山本氏は青い顔をますます青くした。

「なんだか人の声みたいだったよう」

「犬だよ! 早く来ねえと、置いていくからな」

意を決して歩み寄って行くにつれ、奇怪な創造物の様子がひとつひとつはっきりとしてきた。
――1歩、また1歩。そしてついに恐怖の家の前に立った時、我々は日常の裏にひそむ怪異なものの存在を、はっきりと実感したのだった。

玄関の扉の脇にはりつけにされた両腕のないマネキン人形、“南北朝の謎”と大きく書かれた古畳、北畠神社と書かれ地に添えられた板、“天然記念物・神の花実”と記された鳥居状の創造物の後方には、木の杭の上に“死”と書かれた例の工夫用のヘルメットを乗せたものがそれらを縁取っているのだった。
また、作りかけと思われる看板類がいくつか転がっていることから、やはりあれらはここで作られたのだろうと考えた。

数多い創造物の中に、少年科学2号で特集した“三原山噴火”や、1号や4号での台風十号による“小貝川決壊”などの文字が見られるのは、着眼点が我々に近いことを示している。

……それにしても、ほとんど必ずどこかに書かれた“N型法則”“NX法則”“NNX法則”というのは、何のことなのだろうか。

(『少年科学5』より)




科学部再出動

予想外の研究所発見の事態に我々SF科のメンバーは準備不足の感を否めず、夏休みに再度結集することを確かめた上で、その場は解散となった。

ほどなく夏休みに入り、数日後の30度を超える真夏日、メンバーは研究所近くのコンビニエンスストアに集結した。
いよいよ、研究所訪問の時がやってきたのである。

だが、人間ワープロ小神野の姿が見えない。聞けば、あるよんどころなき事情で遅れるという。
小神野が来るまでに、市村サトルはカメラを持ってスクーターで付近をまわり、書き込みやオブジェなどの写真撮影に精を出した。ちなみに、この日私と市村がスクーター、他の3名は自転車での参加である。

しかしこの日、私は腹の不調を呈して一時帰宅、島田はコケて足に怪我、小神野は遅刻と、どこかいつになく浮き足立っている我々の姿があった。

小神野も到着し、再度、先のコンビニエンスストアに集結した我々は、電話ボックスの前に集合した。訪問の前に、アポイントメントを取らねばならない。

再度、市村サトルの記述を引用する。




アポイントメント

研究所に行く手順はあらかじめ決めていた。

まず電話をかけて、アポイントメントをとってから訪問する。
そうしないと相手に無用の警戒をさせてしまうだろうし、それ以上に相手の情報をあらかじめわずかでも握っていれば、やりやすいというものだ。
いつでもそうだが、未知のものに対する時には非常な注意をはらうべきである。

「誰が電話しようかね?」店の前の電話ボックスのまわりで、私(市村)は言った。

「希望者はいないかね? 誰か勇気のある者は?」

「SF科の科長なのだから、市村君がおやりなさい」木城氏が言った。

「そうかね。私としては、君のそのどすの利いた声が捨てがたいのだが……まあ、仕方ない。どれ、ちょっと番号の写しをこっちへ貸してくれたまえ」

私は電話ボックスに入り、番号のボタンを慎重に押していった。
一回、二回……そして七度目のコールが鳴り終わった時、受話器を取る音が聞こえた。向こうから何も言い出さないので、私の方から話しかけた。

「もしもし、そちら筑波総合研究所ですね?」




初接触

私(市村)の質問に相手が答えるまで、若干の間があった。普段はあまり電話がこないのだろうか、どうやら不審に思っているだろうことがうかがい知れた。

「……はい」

かなり年輩の、老人と思われる男の声がいささか小声で返答した。私は相手が何か言い出すのを期待したが、やはりそれ以上何も言わないので、私の方から切り出した。

「あなたは所長さんでいらっしゃいますか?」

「……そうです」

「私、筑波高校の科学部の斉藤という者ですが……」

某現国教諭の影響だろうか、私はとっさに斉藤という偽名を思いついた。

「斉藤さん? ――筑波高校の……」

彼はこちらの素性が知れてくると、にわかに声に張りが出てきた。
そこで本題に入ることにした。

「はい。我々科学部はあの看板を見て、あなたの超科学法則に大変興味を持ちました。そこで、ぜひその法則理論についてお聞きしたいのですが」

私は相手が理解できる間を置いて、付け加えた。

「いかがでしょうか?」

「ああ……あ、そうですか!」

調子がはじめと一転して快活になった。とはいえ、そのしわがれ声から私は彼の年齢をおよそ60と踏んだ。

「いつですか?」

「そちらの都合がよろしければ、すぐにでもお伺いしたいのです」

「いや、こっちはかまわんですがね。あの、あなた一人だけですか?」

数少ない会話ではあったが、相手はかなりうち解けてきた。口調も少々ラフになってきている。

「いいえ、科学部の者が私を含め5名です」

「あの、今どこからお掛けになっているんですか?」

「公衆電話です」

「どこのですか?」

「コンビニエンスストア前の電話ボックスです」

「そこは何というお店のですか?」

妙な質問だ。意図がまるっきりつかめない。私を試す誘導尋問の一種ではないかと感じ、正確に答えることにした。

「“サンメイト永田屋”という店です」

「……そうですか。ここの場所知ってますか?」

「知っています。そちらへは15分ほどで着きますので、では、後ほど」

向こうがそれ以上質問を加えないうちに電話を切った。電話ボックスから出ると、木城氏たちが待ちかまえていた。

(『少年科学5』より)




周到なる前準備

市村サトルがとっさに思いついた“斉藤 充”という偽名にならって、他のメンバーもそれぞれ偽名を考えることになった。相手は正体不明の怪人物である。本名を知られてしまうのは、はなはだ危険であった。特に、メンバーの中では私の家が研究所に一番近い。危険である。

島田は“小林 学”、私は“林 勉”、小神野が“岡田 健”、山本はモメた末に“山田一郎”と決定した。
しかし、ここでさらに市村サトルが「偽住所」も考えようと言い出した。

いくらなんでも住所までは訊くまい、と私はいささかあきれ顔で市村に言った。

がしかし、一応念には念を入れということで、「〜方面」とだけメンバーそれぞれが決めることになった。とりあえずということで、私も従った。

この時のツメの甘さが、後々まで尾を引くこととなる。




所長出現

1枚のカンバンから手がかりの糸をたぐりよせ、全ての謎の中心である研究所を発見し、そこを訪問しようという所までこぎ着けた我々は、ここまでの間、きわめて順調に事を進めてきた。
しかし……。

電話をかけたコンビニエンスストアから研究所までは、約1kmほどの道のりである。

私と市村はスクーター、残る3人は自転車で、うっそうとして薄暗い林の間を通る舗装路をひた走っていた。と、いきなり私のスクーターの後輪が左右に激しく振れ出すではないか。
あわてて止まると、後輪はペシャンコになっている。パンクである。原因は分からない。タイヤには何もささっていないのだ。私はうろたえた。
薄情なことに、他のメンバーは私の事態に気づくこともなく行ってしまう。私は悪態をつきながら林の奥にスクーターを停め、ヘルメットを持って走って追いかけていった。

私が汗だくになって走っていくと、例のカンバンがある一本松の地点で他のメンバーがいぶかしげな顔をこっちに向けた。

「大汗かいて何走ってんだよ、ツトムは」

「おいおい、俺のスクーターがパンクしちまったの見てなかったのかよ……まったく」

実際、立ってるだけでも汗がしたたる炎天下なのだが……、ふと、今まで感じられなかった涼しい風が我々の間を通り抜けた。時ならぬさわやかな涼風にメンバーはほっとした面もちで、誰いうともなく、風が吹いた方向に一斉に顔を向けた。

我々から見て、それはまさしく研究所の方角であった。抜けるような青空の一角に、不吉な黒雲がうねっているではないか。
ふと気づけば、地鳴りのごとき雷鳴音もかすかに聞こえてくる。その間にも、重苦しい黒雲は刻々とこちらに迫ってくるのが分かる。
メンバーは声も出せず、その圧倒的な光景をただただ凝視するのみであった。

だが、もう研究所へ行かねばならない。約束の時間は刻一刻と迫っているのだ。

メンバーは意を決し、自転車やスクーターをその地点に停めて、研究所へ向かう砂利道を歩き出した。そのころにはすでに黒雲は全天を覆い尽くし、昼間だというのに、あたりは夕刻のごときうす暗さに支配されていた。
まるで、これから遭遇する自らの運命を暗示するがごとく……。

雑草が生い茂り、ただでさえうす暗い砂利道を道なりに左に曲がると、曇天の下、数々の奇怪な創造物に覆われて、よりいっそうの不気味さをいや増した研究所が目に入った。
吹き抜ける風の音とかすかな雷鳴が、この恐怖の館を演出してしまっている。
今から、ここに入るのか――。
絶望と恐怖の入り交じった表情の我々に、研究所の庭から声がかかった。

「よく来たね」

彼の名が“運隆撞覇”(うんりゅうどうは)だと知ったのは、その後のことである。

(第二章につづく)