迷走の年、1989年
〜1989年

前の年(1988年)に小学館に「怪洋星」を持ちこみ、新人賞の佳作をとった僕にはO氏という担当編集者がついた。

※去年の秋に一度担当編集者が替わったが、あまりにも未熟なその新人担当を僕が議論で打ち負かして泣かせてしまったため(ちなみに担当は男)、少年サンデー編集部に異動になっていたO氏に再び担当になってもらっていた。※

そこで次の作品を描いてO氏の所に持ちこむのであるが、今度は絵コンテ(※業界用語では「ネーム」という)段階での持ちこみとなる。
完全にペンまで入れて完成した原稿を持ちこんでボツにされたら時間がムダになるので、絵コンテの段階で見てもらってよしあしを判断してもらうのだ。ここでGOサインが出たら、完成に向けて作業に入ることになる。
また、当然のことながら作品は短編が望ましい。

現在のネームはセリフとコマ割りがメインで、絵は人物の位置関係がわかる程度のアタリしかつけない簡単なものだが、この持ちこみ時代のネームは編集者へのプロモーションも兼ねていたので、絵もばっちり描きこんである。まさにネームというより絵コンテと呼ぶにふさわしい。
そのため、以下の文では当時の呼称に従って「絵コンテ」と表記する。

前年、我ながらすさまじいエネルギーで各方面に優れた作品を描き放ち、「もう俺に駄作はねぇ!!」とまで豪語していた自分であるが、89年に入るや否や、どういうわけか全くいいアイディアが出なくなってしまった。

アイディアレベルでのボツは数知れず。なんとか話をまとめあげて20数ページの絵コンテにしてO氏に持ちこんでも、一発でボツにされてしまう。救いがないのは、ボツにされても僕自身「やっぱりな〜」と納得してしまう程度の出来だということだ。

(余談であるが、この当時ボツになった絵コンテ短編に映画「マトリックス」と同じアイディアの作品があった。舞台はなんと現代日本(!!)。実は仮想世界でガ〜ン、というお話。ボツになっただけあって、当然「マトリックス」の方が面白い。)

とにかく何か描かなければ…という焦りが募るほどに、思考・発想が袋小路に入りこんでしまう。
とにかく苦しい。出口が見えない。自分の才能が枯渇したのかと本当に悩んだ。
あれから15年以上たって振り返って見るに、調子のいい悪いはいろいろあったものの、本当に「スランプ」と呼べるのはこの時だけだと思う。

アイディア主体の短編が軒並み失敗に終わり、焦燥のまま89年の数ヶ月を過ごした。
5月ごろ、それまでの短編スタイルを捨てて、ページ数も決めずに、あるサイボーグの男の魂の物語を描き始めた。
数週間後、70数ページという短編としては少し長い絵コンテが出来た。
タイトルは「RAINMAKER」。