本格様式漫画時代(2)〜「スクラップスター」
〜1983〜1984年
「ブラッディスター」を完成させて自信を深めた僕だったが、そうそうヘビーな内容のものを連続して描けるわけもない。
次は「ライト・スペースオペラ」とでもいうべき軽快な内容のものにしようと決めた。
一回16ページ、全23話構成の長編「super odyssey CABSTON」という作品である。
これはキャブストンという名の宇宙の何でも屋の男が、宇宙の秘宝をめぐる争奪戦に巻きこまれるというドタバタアクションコメディで、ほとんど毎回新キャラや新しいシチュエーションが登場するのがウリだった。
この作品の制作上の狙いは、とにかく場数を踏んで画力を向上させることにあった。
毎回異なるシチュエーションというのも、様々な人工物や自然物をペン画の技法で描くことをマスターするいい経験になる。
また、この作品から出来上がりのページ数を決めて描くため、必然的に絵コンテ(現在でいうネーム)を描くようになった。それまではいきなり下書きから行き当たりばったりに描いていたのだが、そのままではページ制限のある投稿作品が描けないことはわかりきったことだ。
この作品は1983年5月14日脱稿の第1話から、翌1984年12月2日脱稿の第9話まで続いた。
結局尻切れとんぼに終わったが、画力の向上に資した意義は大きい。
「CABSTON」7話の1シーン。
また「ブラッディスター」の時代まで、読者といったら弟のツトムしかいなかったのだが、「CABSTON」シリーズは美術部の後輩達に人気が出て、次回作をせっつかれるようになるという境遇の変化もあった。
当時の僕は乾式コピー機というものを見たことがなくて、当然コピー本を作って個人誌や同人誌を作るという発想もなかった。コミケなど別世界の話で、東京のどこかでやっているらしいことは聞いてはいたが、まだ小規模なものだったしまったく興味はなかった。
「版下原稿」という概念がなかったので、「CABSTON」で培った作画技術は肉眼で鑑賞することを前提にした美術品制作のような精度に達した。
原稿をつぎはぎする「切り貼り」などもってのほかであって、コマからの線のはみ出しやホワイト修正も最小限に抑えられ、ベタの塗りムラもない。
絵そのものは未熟であったが、その表面完成度は現在の「銃夢」の原稿をはるかにしのぐものだった。
今から思うと無駄な努力だったような気もするが…。
記念すべき年、1984年の春に高校3年になった僕は、3年生の美術部員が僕一人という理由だけで部長に任命されてしまう。
それまでは幽霊部員同然だったが、それなりに責任を感じ、新入生の部活紹介で大胆な演説をしたりした。
そのかいあって新入生も何人か入部し、毎日放課後に顔を出すようになるのだが、その活動内容はほとんど漫画同好会だった。
そうしているうちに後輩のつての印刷所に頼み、漫画同人誌を作って文化祭で売ろうという話になった。
美術部で作った同人誌。まだ中学生だったツトムも58ページの作品「OLGA」を寄稿している。
発表の場があればかぜんやる気になるのが僕のたちである。
「CABSTON」と同じ世界設定の短編作品「スクラップスター」(24p)を8月3日に脱稿。
宇宙に浮かぶスクラップでできた小惑星がどうしてできたか。それは賞金首対賞金稼ぎの壮絶な死闘の結果であった…という話。
「スクラップスター」より。
ライトな一発アイディアの作品とはいえ、手頃なページ数で短編が描けたことに自信を深め、波に乗った僕は、そのまま新人賞投稿作品「気怪」の作画に突っ走っていく。