本格様式漫画時代(1)〜「ブラッディスター」
〜1982〜1983年

「本格様式漫画」とは、B4投稿サイズ原稿にペン入れ、仕上げまでした完成原稿のことである。
高校1年最初の年も暮れようとしていた12月20日、本格様式漫画としては初めての完成作品「フェルバゴナー」ができた。
ただし大長編の第1話、という位置づけ、たった10ページの作品であるが…。

「フェルバゴナー」1話。原作版「ナウシカ」の影響を受けている。


当時子供気分が抜け切らなかった僕は、とにかく飽きっぽかった。
自由にならないつけペンを使って10ページの完成原稿をとりあえず作っただけでも当時としては偉業だったのだが、後が続かない。やり始めこそ夢中だがあっというまに飽きてしまう。
描き出す前はドキドキして構想を膨らませたストーリーも、描いているうちにたちまち陳腐なものに思えてきてしまう。
もっと面白いストーリーが出てくると、もう続かない。…
案の定、壮大な構想の元に始めた「フェルバゴナー」は第2話の完成を見ることなく、そこで終わってしまう。
年を越して、1983年元旦。心機一転して、新たな作品の制作を始める。
その作品「ブラッディスター」は全77ページ、4月10日までの四ヵ月をかけて完成した。

「ブラッディスター」トビラ。光の描き方などは「コブラ」の影響。

この作品は当時の僕としては様々な意味で画期的な作品だった。
まず、技術面で大幅な進歩があった。つけペン、三角定規、雲形定規といった道具類を使いこなすことができるようになった。
また77ページの作品を描き切ったということは大きな自信となった。
そして一番の転換点はその物語構造にあった。
「ブラッディスター」のあらすじは次のようなものだ。
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荒野の惑星上にある宇宙港を核にした自治小都市バードシティが舞台。
密航を発見された少年「アルファス」は警備員を射殺、スラム街に逃げこむ。懸賞金がかけられ、それを目当てにスラム街を仕切る武装暴走族が彼を追うが、予想をはるかに超える少年の戦闘力で反撃に遭う。
バードシティ上層部は少年がただの密航者ではなく、「帝国」の特殊訓練を受けた脱走兵だとの情報を得る。「帝国」の介入を恐れたシティ上層部はレンジャーを投入し、暴走族ごと殲滅しようとする。
アルファス・暴走族・レンジャーの三つどもえの戦いとなり、事態は混迷を極める。
ついにはアルファスが宇宙港に離着陸する宇宙船を無差別に撃墜するに至り、バードシティは火の海となり、完全に壊滅する。
暴走族の女副長グリフィーナは執念で生き残り、アルファスとの一騎打ちに持ちこむ。
アルファスは彼女をも射殺すると、荒野へと消える。
ラスト、惑星軌道上の「帝国」の戦艦。すべてはアルファスの戦闘能力をテストするためのはかりごとだったことが明らかになる。
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「ランボー」や「装甲騎兵ボトムズ」みたいな筋書きだが、描き始めの時点ではまだ「ボトムズ」は始まっておらず、「ランボー」もまだ未見だったのでパクリではない…。
それまでの僕の考える物語は、どこか子供っぽい勧善懲悪、善悪二元論から抜け切ることができなかった。必ず正論を語るキャラが出てきてしまう。シリアスな作品を作ろうとすればするほどきれいごとの「青年の主張」みたいになってしまい、それに満足ができないながらもどうすれば良いか、もどかしい思いでいた。
それがこの「ブラッディスター」では突き抜けた。
この物語には善人は出てこない。全員が自分の利害関係で行動する。
主人公の少年は孤独に追い立てられる身で、言い訳する機会もなく命を狙われる境遇は一瞬同情を誘うが、敵と認識した人間を片っ端から殺しまくる。ほとんどセリフはなく、内面描写もない。思い悩んだりすることもなければ回想シーンもない。読者が感情移入できるようには作られていない。
むしろ、アルファスを追う暴走族の女副長グリフィーナに読者が感情移入するように作られている。
仲間を殺され恋人のリーダーを殺され、憎悪を燃やして追撃する彼女は読者が一番共感しやすいキャラだろう。
しかしそのヒロインも最後に殺されてしまう。
この物語では主人公と最後の黒幕以外の登場人物はすべて死に絶える。
しかし、主人公は生き残る。町ひとつを破壊しそこの住民全員を殺害しながら、なおも生き残るのだ。
物語構造として、ここが重要なところだ。
それまでの僕の物語構造の常識としては、これだけの罪を重ねてしまったら、主人公は当然最後に死んで罪をあがなわなければならない。
しかし、生き残る。後悔もなく、他人を全員殺して生き残るのだ。
そのことに、物語として、どんな意味があるのか?
なにか、重大な意味がある。だからこの作品を夢中になって描いた。
だが、その意味がどんなものなのか、当時の僕は言葉にすることができなかった。
まるで、ほとんど語らぬ主人公のアルファスのように。
このような、暗くシリアスで、「無意識のカルマの叫び」ともいうべきスタイルの作品を僕は以後数年おきに描くようになる。
これらの作品の系譜を僕は「ブラッディスターもの」と呼び、その流れは「怪洋星」、「レインメーカー」、そして「銃夢」のザパン編へと連なることになる。