ガンダムも来た!!(その2)
〜ガンプラ狂騒曲〜
1980〜1981年
ガンダムは音楽もよかった。
なけなしの小遣いをはたいてガンダムのBGM集を買った。もちろんこの時代はアナログレコードである。
レーベル面に「子供向」 と書いてあるのが悲しい。
このジャケットの中に第1話の劇中のスチル写真がいくつかあって、そこにほんのちょっとザクが写っていた。
そのわずかな情報を頼りに、0.2ミリ圧の透明プラ板をセルにみたててザクの疑似セル画を作ったりした。
このころはアニメショップなどなかったから本物のセルなど手に入らなかったのだ。またモビルスーツの設定資料などが出回るのはもっと後のことで、ムック本もなく、ほとんど資料と呼べるものがなかった。
後にザクの設定資料が手に入ってから、この時描いた疑似セル画のザクを見比べてみると、肩の角が10本ぐらい多かったりして かなり不正確だった。
1980年8月。ガンダムの放映が終わって半年あまりが経とうかというころ。
僕はたまたま立ち寄った東京・錦糸町の駅ビル構内の模型屋で、バンダイの144/1ガンダムとザク、そして模型専門誌ホビージャパンを発見、購入した。
1980年9月号のホビージャパンはこんな感じだった。
ドイツ軍と連合軍の兵士がガッ!と組み合っている、あまりにも濃ゆい表紙絵である。
小学生のころからAVプラモデルが好きだった僕はガンダムとは別の次元で血がたぎった。
(注:AVとはこの業界では陸戦兵器、アーマー&ヴィーグルをさす。決してオーディオ・ヴィジュアルやアダルト・ビデオの略ではない。)
この号のホビージャパンは8割がミリタリー、1割8分が自動車など、残り2分がスタートレックの輸入プラモデルの作例などSF物。144/1ガンダムを改造してジムにするという記事もあり、後のガンプラブームのルーツといえるのだが、まだいかにも肩身が狭い感じで載っている。
ホビージャパンとの出会いは僕の中学生活を変え、輸入SFプラモデルに小遣いのほとんどをつぎこむほど入れこんでしまう。しかしこの項ではガンダムに限って話を進める。
80年の暮れ。
模型屋を散策していると、144/1ズゴックが出ているのを発見した。
ズゴックはザクの次に好きなモビルスーツなので食指が動いたが、財布の中が少し寂しかった。いや、決してズゴックが買えないほど金欠ではなかったのだが、これを買ってしまうとちょっと後がキビしいな…という感じであった。
(たしかズゴックの値段は300円。)
「まぁガンプラなんて買う奇特な奴は少ないし 、来年にでも財布が温かくなってからぼちぼち買えばい〜かぁ〜」と考え、この時買わなかった。
翌年大後悔することになる。
81年。
突然、降ってわいたようにガンプラブームが巻き起こった。
劇場版「機動戦士ガンダム」第1部が公開されるなどのきっかけがあったためかどうかは、今やはっきりおぼえていない。
僕はガンダムはマイナーなものだと思いこんでいたので、まさに青天の霹靂だった。
模型屋の店頭から、あんなにあったガンプラがまったくなくなってしまった。もちろん前年買い控えていたズゴックも手に入らない。
近くの松戸ではガンプラに殺到した子供が将棋倒しになり、新聞沙汰になる始末。
行きつけの模型屋で抽選で買えるというので行ってみると、行列に並んでいるのは自分の腰ぐらいの背しかない子供ばっかり。
ガンダムは子供向けではないストーリーを持つまったく新しい時代のアニメだと固く信じていた僕は、この現象を非常に腹立たしく思った。
僕は凝り性である。
ひとつのことに思い定めたら、徹底的に突き詰めるまで気が済まない。
また親の遺伝で手先が器用でもあるから、頭に思い描いたイメージは手間と時間さえかければほとんど実現可能だ(と信じている)。
問題は「手間と時間さえかければ」という部分で、完璧主義がたたって、いつまでたっても完成しない、という現実に直面する。
ガンプラブーム以前からホビージャパンを購読し、プラモ作りの最新モードを全て習得。パテによるパーティングライン(パーツの継ぎ目)消し、ラッカー塗料とエナメル塗料を使い分けてのウェザリング(汚し)テクニックは当然のこと、果ては光ファイバーによる電飾にまで手を出した。
しかし凝りすぎて、完成した作品が1〜2個しかない。(いずれもガンプラ以外の作品。)
完成すればものすごい出来になるのはわかっているが、完成はまだ見ぬ未来の話。しかも次から次へと新しく購入するプラモが増えていき、作りかけのものは永遠に作りかけのままになってしまう。
「いつかすごいのが完成するんだ」と自分に言い訳 しながら、ずるずると死蔵するプラモが増えていく…。
僕の中学三年はそんな状態だった。
ある日、行きつけの模型屋のショーウインドウに、ガンプラのコンテストの応募作がたくさん展示されていた。
応募者のほとんどは小学生であろう。接着剤ははみ出し放題、パーティングラインを消すことなど知らず、ウェザリングというより塗料をただぶちまけたような塗り方。
そんな作品ばかりだったので、僕は悪態をつき、口汚く罵ってあざ笑った。
だが、次の瞬間、自分の現状に気付いてしまった。
「たしかに俺は、完成すればすごいものが作れるかもしれない。だが、実際にはちゃんと完成したガンプラはひとつもないではないか!!」
「それにくらべ、このガキどもは未熟とはいえ、とにかく完成 させてしまっている!!そしてそれを見た道端の他人に感想を言わせている!!未完のまま、誰にも完成品を見せられない俺と比べて、現実に与える影響力は遥かに上 だっ!!」
僕はすさまじい敗北感に打ちひしがれた。
無名の小学生ガンプラモデラー達に敗れ去った。
「やらない奴より、やった奴のほうが絶対的に偉いのだ」
これが中学三年の時、ガンプラを通じて僕が学んだ苦い教訓である。