スターウォーズがやってきた!
1977〜1978年

ジョージ・ルーカスの作った映画「スターウォーズ」。
公開当時の熱狂を知らぬ若者や、この手の映画に興味のない人でも、「スターウォーズ」がSFXの一大発達をもたらしたことや、ハリウッド映画のビジネススタイルに多大の変革をもたらしたこと、ガンダムをはじめとする映画を超えたさまざまなジャンルに影響をあたえたことに異論のある人はいないだろう。
スターウォーズのことを初めて知ったのは小学五年の春ごろ、少年マガジンの巻頭カラー特集でだった。
まだ日本公開が正式決定していなかったためか、タイトルはまんま直訳の「星間大戦争」(うろ覚え)。小さくて不鮮明なスチル写真の数々に、少年の胸は張り裂けんばかりに高鳴った。
“これこそ自分が観たかったものだ!”直感の叫びが稲妻のように脳裏を打った。
背景説明が必要だろう。
スターウォーズ以前にも、当然SF映画は存在した。「宇宙戦争」「禁断の惑星」「猿の惑星」「ウエストワールド」など、名作も多い。日本のゴジラシリーズなどもこのジャンルに含まれよう。
しかし宇宙船といえば相も変わらず「銀色の火を噴くロケット」というのが当時の相場(少なくとも日本においては)だった。そして舞台は現代地球のローカル性からけっして抜け出ることはなかった。上記「宇宙戦争」「猿の惑星」「ウエストワールド」なども子供の目でも面白いとはいえ、パニックもの、サバイバルものの変種にすぎないといえる。
(唯一、スターウォーズより20年近く前に作られたキューブリックの「2001年宇宙の旅」は非ロケット的なリアルな宇宙船、非地球ローカルな視点などを備えているが、この時点ではまだその存在を知らなかった。またストーリーは子供心に訴えるものとは言えない)
日本映画においては事態はさらに深刻で、宇宙船、ロボット、エイリアンといった題材が出る映画などお子様ものと軽く見られ、子供の目から見ても腹が立つほど子供だましなものしか作られていなかった。
このように、スターウォーズのコンセプトというものは当時の既存の映画の常識から完全に突き抜けていた。
まもなくアメリカでの大ヒットが日本のTVなどでも報道されるようになり、1年後の日本公開も決定し、大人も子供も含めたスターウォーズ・フィーバーが日本中を覆いつくしていく。
その年の海水浴場では、僕と弟はコカ・コーラのビンのフタの裏側にプリントされたスターウォーズの場面の数々を集めることに躍起になっていた。
お菓子のオマケのポリプロピレンのミニ人形も集めた。恐竜にまたがったストームトルーパーの写真がついた手帳も買った。ミレニアムファルコンのプラモやダースベイダーのヘルメットはほしかったが高すぎて買えなかった。スターウォーズに関する情報ならば何でも集めた。
1978年夏、ついに日本公開される。
近くに映画館がなかった。電車の乗り方も分からなかった。
父に、夏休み中に映画館に連れて行ってくれるよう約束を取りつけるが、その約束が守られることはなかった。今でもそのことを根に持っている。
結局、日本語吹き替えのリバイバル公開がされる高校生の時まで、スターウォーズエピソードIV「新たなる希望」は観ることができなかった。
当時スターウォーズを知った時の感激、これを言葉にするならば、
「子供のような題材をバカにせずに大真面目に作る大人がアメリカにはいるんだ!」
という感じか。
この感激は程なくして、「僕も映画を作りたい!」という素朴な夢へと変わっていく。