ほどなく霞ヶ浦総合公園に到着。霞ヶ浦は観光地と言うわけではないので、周辺はごくありふれた田舎の町並が続いている。その中でこの公園はきっちり整備されていて、近隣の家族連れでにぎわっていた。
ここからは「高さ世界一」を誇る牛久大仏も近いが、過去に2度行っているので今回は見送り、そのまま霞ヶ浦湖畔を東へと向かう。シーソーペダルはだいぶ慣れてきたが……しかし寒い。気温と言うより、霞ヶ浦から吹く風が冷たいのだろう。我慢しながら走ること2時間ほど、目的地の鹿島神宮に到着。
鹿島神宮は初詣ででにぎわうと聞いていたが、規模はそんなに大きくない。「鹿島神宮」と書かれた入り口を過ぎて歩いていくと山門が見えてきた。……ん?なんかおかしいなと思ったら、入り口には本来石造りの大鳥居があったものの、昨年の震災で倒れてしまったのだという。跡形もなかったのでわかりにくいが、震災の傷跡はまだ残っているのだ。
さて大きな山門をくぐると、右手になぜか横向きの本殿、反対側の左手には巫女さんたちがお守りを売る売店や宝物館が並んでいる。参拝者もそこそこいてにぎわっている。ここの本殿はなぜ横向きなのかと不思議に思ったが、古来鹿島神宮は千葉県の香取神宮と共に、蝦夷(えみし=異民族)に対する最前線基地だったという。そのため鹿島の本殿は北(敵地)を向いているとのこと。何しろここの創建は紀元前660年(!)だというから、古来から重要な場所だったに違いない。
この鹿島神宮は森に囲まれているが、とにかく木の1本1本が大きい。本殿を通り過ぎて奥の山道に入ると、普通の山道のように見えて木々がものすごくデカい。スケール感がおかしくなると同時に、木々に圧倒されて厳粛な気持ちになってくる。山道を進むと途中にシカ園、かつて本殿だったという奥の宮があり、そこから右手の道を進むと、大ナマズの頭を押さえているという要石(かなめいし)が奉られている。奥の宮から坂道を下ると御手洗(みたらし)という水のキレイな池。そこからは裏口に続いている。
ひと通り見たので本殿まで戻り、最後に宝物館に入った(大人300円)。要石に関連したユーモラスなナマズ絵や地震災害を描いた絵が多い。他に古い甲冑や武具、馬の鞍などがあるが、やはりここの見どころは大量の日本刀の数々。古いものから江戸時代くらいのものまで、国宝級の刀がズラリと展示されている。中には「奉納:前田日明(格闘家)」と解説された日本刀も(Wikipediaによると氏は日本刀収集が趣味とのこと)。そしてここの最大の目玉、全長が2.7mというとんでもない直刀、黒漆平文大刀拵(くろうるしひょうもんたちごしらえ、別名フツノミタマノツルギ)。刃幅も10cmぐらいあるバケモノ刀で、展示されているガラスケースの前に大きさと重さを模したレプリカがあったのだが、重さも軽く7〜8kgはありそうだった。さすがにこれが実戦で使われたとは思えないが、存在だけで味方を奮い立たせ敵を震え上がらせるには充分だったろう。
しかし宝物館で1番面白かったのは、たくさんの狛犬(こまいぬ)たち。古い時代の木造の狛犬(かなり損傷が激しい状態)や陶磁器でできた狛犬などがあったのだが、中でも白っぽい色の瀬戸物の狛犬は真ん丸の目玉にだらしない口元、ヒョロリと伸びた前脚と全体的に「ヘタウマ」的。16世紀のものというのがウソのように現代風で、そのユーモラスなアヘ顔は、レプリカを作ったらたくさん売れるのではないかと思わせるものがあった。
そんな感じで鹿島神宮を後にして、帰りは来た道とほとんど同じ順路を戻り、夕方5時ごろ帰宅。走行距離は往復でほぼ200km、燃費はリッター約20kmだった。半分以上一般道だったことを考えるとまずまずの燃費。シーソーペダルはまだ無意識レベルで使えるほどには至ってないが、なかなかイイ感じに使えそうだ。