ゆ き と の 書 斎

す ぱ ら し き 映 画 た ち

第 4 回

恐怖の報酬

1952年フランス 監督:アンリ・ジョルジュ・クルーゾー 主演:イヴ・モンタン

「人間のドラマが描きたい」そう言った僕に対し、かつて角川の某漫画雑誌の副編集長は言った。
「人間が出てくりゃ人間ドラマだからなぁ〜」
“違うだろ”僕は腹の中で思った。
そう思ったのは、この少し前に「恐怖の報酬」を観てショックを受けていたからだ。
僕の漫画の人間描写において、決定的な影響をあたえた映画の一本である。
古い白黒の、フランス映画である。
僕の父は映画好きで、古い映画がTVで放映されるとよく観ていた。幼い僕もよく意味が分からぬままに一緒に観ていた。この「恐怖の報酬」もそうして幼いころに何度か観たおぼえがある。
しかし、成人してから観た映画の印象はまったく違った。
“生(なま)の人間が描かれている”そう思った。
舞台は南米ベネズエラのラス・ピエドラス。
望郷の念に駆られながらも職もなく、ただ無為に時を過ごしているだけのフランス人青年マリオ(イヴ・モンタン)は、町にやってきた同じフランス人の初老の男ジョーに出会う。
立派な風体のジョーは、実はなにか非合法の犯罪を犯して追われ、この辺境の地に一文無しで流れ着いてきたのだった。
威風堂々たるジョーに付き従うマリオは、親友のイタリア人ルイージやバーの常連客から反発を買い、孤立する。バーでの喧嘩の際、ピストルを突きつけられてもまったくひるまなかったジョーにマリオはますます心酔していく。
この前半の人物描写がけっこう長くて、眠くなってしまいそうだが、これが後半の展開に生きてくるのだ。
そんなとき、町から500キロ離れた油田で大火災が起きる。消火のためのニトログリセリンを運ぶために4人の男達が雇われることになる。成功報酬は2000ドル。
わずかな衝撃でニトロは大爆発を起こす。それをなんの衝撃緩和装置もない普通のトラック2台に分乗して運ぶのだ。一攫千金で町からの脱出を夢見るマリオとジョー、塵肺を病んで余命半年と宣告されたルイージとナチス強制収容所の生き残りビンバがそれぞれトラックに乗り込み、出発する。
……ここまで読んで、この映画を観てみようと思った方は、この後の文を読まない方がいいかもしれない。エンディングまで書いてしまっているので、あとは自己責任において読んでください。
ありとあらゆる困難が二台のトラックに立ちはだかる。
死と隣り合わせの恐怖が、男達の虚飾をはぎ取り、その本性をむき出させていく。
あれほど堂々としていたジョーは見る影もなく、臆病な老人に成り下がってしまう。その反対に、危険を見るほどに攻撃的に、非情になっていくマリオ。
逆にルイージはまったくいつもと変わらぬ陽気さ。相棒のビンバも無口だが誇り高さを保つ。
先行していたルイージ達のトラックが爆発し、それを見て恐怖したジョーはトラックから脱走。マリオは追い、殴りつけて連れ戻す。二人の友情は決裂し、完全に立場は逆転した。
ルイージ達のトラックが爆発した現場は跡形もなく、道路脇を走るパイプラインが破れて原油の池ができつつあった。その池を抜ける際、誘導のため池に降りていたジョーは転倒、マリオは非情にもそのまま走り抜ける。ジョーは片足がちぎれかける重傷を負う。
目的地の油田を目前にして、弱っていくジョーは懸命に以前住んでいたパリの風景を思い出そうとする。
「あの塀の向こうはなんだったかな…」「そうだ!」
「空き地だった…」息を引き取るジョー。
マリオはジョーを抱きしめ、むせび泣く。
このシーンには綺麗事や美意識などでは計れぬ、人間の真実がある。
ひとり大火災の油田にたどり着いたマリオは英雄として迎えられる。
ジョーの分も含め、4000ドルの小切手を受け取ったマリオは有頂天になり、もはやこの前までの恐怖のことも、親友を失ったことも頭にない。空荷のトラックでご機嫌に蛇行運転するうち、誤って断崖から転落。マリオも死ぬ。
このタイトルにこのエンディングだと、まるで「恐怖の報酬は死だ」と言っているかのように短絡的に受け取ってしまいそうだ。あんなに苦労して難関をクリアしたのにこれかい!と思ってしまう。
88年に観た時に唯一すんなりとのみこめなかったのがこの終わり方だったのだが、その後考えてみて、たぶんエンディングに深い意味はないんじゃないのかと思うようになった。
ただ、この筋において主人公が大金もらってハッピーエンドは「違う」とクルーゾー監督は思ったのではないか。
フランスの映画はエンディングが分かりにくいことが多いように感じるが、ラストの瞬間に人間の視点を遠く離れて神の高みから人間の営みを構図づける、そんな傾向があるように思う。