ゆ き と の 書 斎

す ぱ ら し き 映 画 た ち

第 1 回

デッド・ゾーン

1983年 監督:デビッド・クローネンバーグ 原作:スティーブン・キング

究極のダンディズムとは。
犬死にである。
誰にも省みられることなく、誰にも理解されず、
野良犬のごとく、ドブ川の中でくたばる。
骨を拾う者とてなく、その栄光を讃える者も、その名を語り継ぐ者もいない。
だが、彼の語られぬ心には、「理由」が秘められている。
「理由」あっての犬死になのである。
なりゆきでそうなったわけでも、強制されたわけでもない。
彼だけにわかる「理由」があるのだ。
理由のある死は、ふつう犬死にとは言わない。
命を捨てて何かを守るとき、それはヒロイズムと呼ばれる。
だが、彼が命を捨ててまで何を守ったのか、彼以外の誰にもわからなかったら、どうだろう?
人は彼を狂人、犬死にと呼ぶだろう。
ギリギリの選択において、死後の名誉すらも諦めての行動は、
ヒロイズムという言葉すら生ぬるい。
それを僕はあえて、ダンディズムと呼ぶ。
「デッド・ゾーン」はあのクローネンバーグにしては、地味でマトモな映画である。
「スキャナーズ」や「ザ・フライ」で有名になったクローネンバーグは、サイコがかった題材とグログロのSFXで鳴らした監督。
が、この映画ではグロいSFXはまったく使っていない。人間の頭が木っ端みじんになったり、肉化したテレビから内臓がぶちまけられたりするシーンはないので、そういう向きを期待して観ると拍子抜けするかもしれない。
しかし、いい映画である。
主人公の教師(クリストファー・ウォーケン)は冒頭で交通事故を起こし、昏睡状態に陥る。
数年後、奇跡的に意識を取り戻すが、フィアンセはすでに結婚してしまっていた。
その上、人や物に触れることで過去や未来のビジョンが見える超能力が発現していたのだ。
主人公は超能力を使うたびに憔悴していく。そしてそれにシンクロするように、まわりの緑豊かな風景も凍てつく雪景色へと変わっていく。
望まずに超能力を手に入れてしまい、平凡な現実世界とどんどん隔絶していく男の孤独を、クリストファー・ウォーケンが好演している。