初めての入院生活
〜1985年

すでに書いたように、前の年にひざを怪我していた僕は手術のために入院するはめになった。
僕は生まれつき体が頑健にできているのか、それまで病気や怪我で入院したことなど一度もない。
初めての体験である。
手術は局部麻酔だったのだが、退屈のため眠ってしまったので憶えていない。
左足はギプスで固められ、約一ヵ月入院することになった。
高校卒業後は専門学校に行くことになっていたので、受験勉強などもする必要はない。
いきなり大きなヒマができてしまった。
そこで親に頼み、文庫本をたくさん買ってきてもらった。
今まで読む機会がなかった、古典小説を読んでおこうと思ったのである。
この時に読んだ本は…
・メルヴィル「白鯨」上下巻
・アルフレッド・ベスター「虎よ!虎よ!」
・Oヘンリー「Oヘンリー短編集」全三巻
・スチーブンソン「宝島」
「宝島」はまったく期待はずれだったが、それ以外は大きな収穫があった。
僕は中学生から高校のはじめごろまでは海外SF小説ばかり読んでいた。しかしあまりにも非人間的・反人間的な傾向の作品が多くて嫌気がさし、高校三年の頃には冒険小説に傾倒していた。
ジャック・ヒギンズの「死にゆく者への祈り」などが好きだった。
(ちなみに、「気怪」に登場する神父さんは「死にゆく者への祈り」に出てくる神父さんがモデル。この小説は後にミッキー・ローク主演で映画化された。ひどいできだった。)
興味の対象が「未知の宇宙」から、「人間」にシフトしつつある時期だった。
「虎よ!虎よ!」は上記にあげた本の中で唯一のSFだが、深い人間の情念を描いており、自分もこれからSFを描くのならこういうものを描きたいと思った。
(蛇足だが、「虎よ!虎よ!」の主人公の名前はガリイ・フォイルという。男性なのだが、「銃夢」のヒロイン・ガリィの名前とかぶるということは連載を始めてかなりたってから気付いた。無意識のうちに影響を受けていたのだろうか?)
本を読んだほかに、漫画も描いた。
・「ウォームスター」(26p/1985年3月11日脱稿)
これは美術部の同人誌第二弾のための作品で、ペンやインクは病室に持ちこめないのでコピー紙にミリペンで描いた。同室の人にスクリーントーンを削る音がうるさいと怒られながら描いたおぼえがある。
僕は完成した原稿だけを残し、同人誌の完成は後輩への宿題として卒業した。
だが、情けないことに後輩連中がこの宿題をやりとげることはなかった…。

「ウォームスター」トビラ絵。


たくさん本を読んだだの漫画を描いただの列挙すると、まるで無理して忙しくしていたように見えるかもしれないがそんなことはない。
ほとんどの時間は眠っていた。
看護婦さんも「この子は良く寝るわね〜」と呆れていた。
今でいう「引きこもり」を世間公認で実行していたようなものだ。部屋は相部屋だったけど。
将来の悩みも、これから身に降りかかるだろう様々な苦難の予感もひとまずおあずけにして、ただひたすら睡眠をむさぼった。
今から見ると、この一ヵ月はたしかに僕にとって必要な時間だったことがわかる。
羽化する前のさなぎのように…。