城山のサツキ池


漫画家・バディプロダクション所属
「i」さん(男性)香川県出身

 小2の夏休みのよく晴れた日、僕は役場の図書室で妖怪辞典を見ていた。

 「狐火」の項にキツネの嫁入りは、天気雨の日によく見られるとあった。
 ちょっとちがうなぁと思った。
 昨日、雨は降っていなかった。

 と、いうのも昨日の昼間のこと、この日はよく晴れていた。
 僕の部屋からは、青く揺れる水田が広がっていて、その向こうに城山という山が見えていた。

 その昔、長宗我部氏の讃岐侵攻の軍事拠点があって城山というらしいが、詳しくは知らない。

 僕は、城山の中腹に、赤い小さな炎がチロチロ燃えているのを見つけた。
 それは、横一列に並んでいてゆっくり動いているように見えた。
 急いで、祖母を呼んできて、山を指さして見せると、

「……おお、ありゃぁ……キツネの嫁入りじゃぁ……」と言った。

「子供の頃はよう見たが……、珍しいことじゃぁ……」

 図書館を飛び出して、もう好奇心に火が付いちゃった僕は、城山に向かってチャリンコを走らせた。

 チャリンコを狛犬の横に置いて天神さんの石段を登り、横道を見つけしばらく行くと、上に登る小さな道を見つけた。ずんずん登って、竹藪を抜け、小さな棚田の横を抜けると小さな石の祠を見つけた。その前で手を合わせたのは、祠に手を合わせておくと山で迷わないと祖母に聞いていたからだ。

 それからどれだけ歩いたか、日陰の森の向こうに赤色がちらちら見えて僕は走った。

 そこには25メートルプールぐらいの池があって、その向こう岸にサツキの花がいっぱい咲いていた。こんな綺麗な池は見たことがない。サツキが水面に映ってカレンダーの写真みたいだ。
 山にある小さな池は腐葉土から染み出した水で黒っぽい色が多いが、この池は澄んでいた。湧き水だろうか?

 赤い炎はどこにもない、狐なんかいなかった。このサツキの赤が炎に見えたのだろうか?
 蜃気楼かなにかで、チロチロ揺れて見えたのかも知れない。

 土手に一つお墓が立っているのを見つけた。
 見慣れた風景だった。

 讃岐(香川県)はため池が多くある。
 池の数は2万とも3万とも言われていて、地図で見ると虫が喰ったように見える。
 小雨量のこの土地は古くから水確保に苦労してきた。
 水確保の土木工事は多くの事故もあっただろう。
 多くの雨乞い祭りや、人柱の哀史もあるため池は、先人の汗と涙の結晶なのだ。
 だから、池の畔に石碑、お墓、お地蔵さん等が立っているのは何の不思議でもない風景だった。

 その黒いお墓はよく手入れがされているようだった。
 供えられた花も枯れていなかったし、周りの草も刈られていた。

 突然、お墓の影から、小さなお婆さんがスッと出てきた。
 僕のほうにゆっくり歩いてきて、にっこり笑って、
「きれいでしょう」と言った。

「今年も綺麗にサツキが咲いて良かった……私が植えたのよ」

 背中の丸い、とても小さなお婆さんだった。
 時々お婆さんの方を振り返りながら、山を下りた。
 お婆さんはニコニコ笑いながら土手から手を振っていた。

 最後に、またいらっしゃい、と言った。

 次の日、その日はちょっと離れた町に入院している祖父を泊まり込みで見舞うことになっていた。祖父のベットの横に小さな折り畳みのベットを置いて、僕一人泊まるのだ。

 祖父はリュウマチで入院していて、もう一年以上になる。
 祖父は、青田の稲の出来のことを気にしていて、家に帰りたいとしきりに言っていた。
 僕は稲の事はよく分からないので黙って聞いていた。
 覚えているのは病室が夕焼けで真っ赤だったとこまでだ。

 僕はいつの間にか眠っていて、こんな夢を見た。

 あの背中の丸いあのお婆さんが、あの土手から手を振っている。
 お婆さんの後ろに多くの赤い人魂がチロチロ燃えて、横一列に並んで揺れていた。
 ニコニコ笑って、手をおいでおいでしていた……僕を呼んでいた。

 その時不意に誰かに肩を掴まれて、僕は目を覚ました。

 祖父が片手に尿瓶を持ってベットの上から僕をじっと見つめていた。
「これ、便所に捨ててきてくれィや……」祖父はそう言った。
 窓を見た、真っ暗だった。時計を見るともう午前3時だった。

 廊下は消灯されていて、所々に青と赤が混ざったボンヤリした明かりが点いていた。
 まだ温かい祖父の尿を流してトイレから出てくると、目の前を二人の看護婦さんが懐中電灯を持って通り過ぎた。
 一人は中年の人、もう一人は若かった、夜の見回りだろうか。
 僕は、その二人の後ろを歩いていた。

 すると、ある病室の前で若い看護婦さんが、あらっと言って足を止め、懐中電灯の明かりを病室に向けた。

 僕も病室の中を見た、暗い中に白いベットが浮かんで見えて、その上に誰かが奥に向かって正座しているのが見えた。
 背中の丸まったお婆さんに感じた。ゆっくりこっちに振り返ろうとしていた。
 あのお婆さんだ……と思った。
 その時、もう一人の中年の看護婦さんが中を覗く若い看護婦さんの腕をぎゅっと掴んで、こう押し殺して言った。

「見ちゃダメッ、あの人、亡くなった人だからッ」

 僕は、咄嗟に目を伏せた。
 お婆さんは僕をじっと見ていた。
 看護婦さんの後にくっついてゆっくり病室の前を通り過ぎた。
 廊下の角を曲がるまで、とても長く感じた。

 看護婦さんが、あのお婆さんが三日前に亡くなったと話しているのをぼんやり聞いた。
 それからのことはあまり覚えていない。
 祖父の枕元に突っ伏していて気が付くと朝だった。
 帰る時、その病室の前は避けて通った。
 帰りの車の中から、城山が見えていた。

 城山のサツキ池の土手であったお婆さんと、病室で見たお婆さんは同じ人だったのか、僕は確かめることはしなかった。


 あれから28年、一度もサツキ池には行っていない。
 あの池はまだあるだろうか、赤く、美しいサツキは咲いているだろうか。

※本コーナーに登場する人物名は、すべて仮名です。
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