柴田宵曲 編著
ちくま学芸文庫 2200円(税別)
最近僕が読んだ中ではイチオシなのがこの本である。
江戸時代のさまざまな随筆から怪談・奇談を抜粋し、五十音順の辞典形式でまとめたもので、「耳嚢」「甲子夜話」といった有名なものからマイナーな随筆まで、幅広く収集している。
河童、天狗、狐狸妖怪の体験談や伝聞から、分類不能のさまざまな奇現象、現在では解明されているものの当時は不可思議とされた現象(隕石、オーロラなど)、ただのびっくりニュースまで、その内容はバラエティに富んでいる。
現代でもそのまま通用するポルターガイストやUFOの体験・目撃談から、ビッグフットやチュパカプラとおぼしきUMAの話まで載っている。
面白いのは、現象そのものは現在と同じでも、当時の人の受け取り方が違う点だ。
死んだ人の幽霊に遭遇する話もたくさん収録されているが、ほとんどの江戸時代の人はこれを人の魂の表れとは考えず、狐狸(キツネ・タヌキ)が人を化かしたものと考えた。
ぜんぜん話の中にキツネやタヌキが出てきてないケースでも、「狐狸のしわざ」にされてしまう。
当時の人の心がわかって面白いと同時に、キツネやタヌキにとってはえらく迷惑な話である。
また、銃夢LOにも出した「猫の妙術」のさらに原話とおぼしき話が収録されている。
「大鼠」という話で、武術談義の説教部分はなく、シンプルに目撃した事実だけを記していてリアルである。
動物に関係する非常に珍妙で面白いエピソードが豊富に載っているので、いつかFLASHアニメにしてみたいと思っている。
一エピソードあたり半ページ〜3ページぐらいで、どこから読んでも面白いのもよい。
また総ページ数が700ページ以上もあり、二段組みなのでふつうの実話怪談本5〜8冊分の読みごたえがある。
僕は就寝時に少しずつ読み進めて、全部読み終わるまで三ヶ月以上かかった。
2200円という値段は高く感じるかもしれないが、内容とボリュームからすれば、とってもお得な本である。
ただ江戸時代の文章なので、いささか読みにくく、文体によっては内容の半分も理解できないことがあるのが難点か。
京極夏彦 著
メディアファクトリー 952円(税別)
「奇談異聞辞典」の古文調と値段とボリュームに「ちょっと…」とたじろいでしまった人にはこちらをオススメする。
江戸時代の随筆「耳嚢」をミステリー作家・京極先生が読みやすい現代文調にしたものである。
木原浩勝氏と中山市郎氏による実話怪談集「新耳袋」はオリジナルの「耳嚢」の精神に習って、著者によるよけいな考察を廃して「聞いた怪異を怪異のままに記す」スタイルを現代によみがえらせた。
この「旧怪談」は話そのものの面白さもさることながら、京極先生による「新耳袋」風の語り口の妙を味わうことができる。
古文調にも味わい深いものがあるが、やはり時代をへだてた距離を感じてしまうのはしかたがないことだろう。それが「旧怪談」では、ついこの間、すぐそこ…で起きたことを本人が目の前で語ってくれているかのような、そんな臨場感がある。
原文も載っているので、文体や語り口で話の印象がどれだけ変わるのかがわかって興味深い。
兵庫県立歴史博物館/京都国際マンガミュージアム 編著
河出書房新社 ふくろうの本 1800円
江戸時代から現代にいたるまでの日本の妖怪にまつわる絵画・図版・マンガその他もろもろを豊富なカラー写真や白黒写真で見せるビジュアルブック。
その大部分を江戸〜明治のユーモラスな妖怪画の紹介に割いており、パラパラと見ているだけで実に楽しい。
古い時代から順を追って掲載しており、日本独特の妖怪画がどのように発達・進化してきたのかがよくわかる構成となっている。
京都国際マンガミュージアムが編著者に加わっているため、解説文は「現代マンガのルーツとしての妖怪画」という視点で書かれている。
最初のうちは昔の絵をむりやりマンガにこじつけているのではないかという感じがする。
だが、読み進めているうちに「幻想世界での架空のキャラクターを楽しむ」という昔の日本人の感性が、確かに現代日本のマンガ文化を支えている感性と共通していることに思い当たる。
びっくりするほどに、江戸時代の人たちは妖怪を楽しんでいたのだ。
「妖怪ペーパークラフト」という項目では、江戸時代末期から明治時代にかけての「おもちゃ絵」と呼ばれる多色刷り木版画が載っている。
「おもちゃ絵」とは子供のおもちゃとして作られた錦絵で、妖怪や幽霊怪談を題材に、自分で紙を切り抜いて立体的な舞台のミニチュアのようなものを作るようにできており、さまざまな仕掛けがこらされている。
子供のおもちゃにカラー印刷のキャラクターものがあったことに驚く。
僕たちが遊んだ「小学一年生」などのふろくとまったく遜色はない。
逆に言えば、百年近く進歩がないということなのだろうか。
後半には大正時代から戦後にかけての現代マンガの黎明期の貴重な図版が載っている。
水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」は元は別の人が創作した紙芝居の「墓場鬼太郎」がベースとなっていることは知る人ぞ知る事実だが、水木しげる以外の人が描いた紙芝居や貸し本版の「墓場鬼太郎」の写真が数点載っている。
これらが再版される可能性はないことを考えると、超貴重な図版だ。
一般的な認識として、現代の日本のマンガ文化は戦後の手塚治虫を出発点として始まったとされている。
僕は以前から、日本人独特の架空世界に耽溺する性癖…僕はこれを「脳内お花畑」と呼んでいるが…がいつからどのようにして、またなにゆえに発達したのかに興味があり、ずっと考察を続けている。
さまざまな証拠から、日本人の「脳内お花畑」は手塚治虫以前から、戦前から存在していたことは確実であった。
最近の僕の考えでは、江戸時代の平和がこの「お花畑」を造成するのにきわめて大きな役割を担ったのではないかと思われる。
ずっと戦争や政情不安が続いているような国だったら、このようなのんきな「お花畑」は生まれないだろう。
この「図説 妖怪画の系譜」はその仮説を補強する証拠のひとつとなった。
デボラ・ブラム 著 鈴木恵 訳
文藝春秋 2476円
※この項は旧「きまぐれゆきと帳」2007年7月26日のレビューを引用したものです。※
19世紀末、欧米で大流行したスピチュアリズム(心霊主義運動)を、その中心となった研究者たちの詳細な記録を基に立体的に描き出したドキュメンタリー。
当時話題になった心霊事件や交霊会の様子などが事例として出てくるが、怪談ではなく研究レポートなので、いわゆる「背筋のぞっとするような怖い話」を期待して読みはじめると肩透かしを食らうだろう。
しかし19世紀スピチュアリズムや、同時代の西洋科学思想界に興味がある人であれば、この上なく面白い読み物となる。
まず、本の始めに載っている登場人物のリストがすごい。
進化論のダーウィン、ウォレス、クルックス管を発明したW.クルックス、おなじみコナン・ドイル、マーク・トウェイン、キューリー夫人、マイケル・ファラデー、発明王エジソン等々、ノーベル賞を受賞した当時一流の科学者や文筆家がそれぞれ心霊肯定派・否定派として大量に登場。
キャラの立った個性豊かな研究者たちが「死後生存の証明」を賭けて繰り広げるドラマは波乱万丈で飽きることがない。
なぜこの時代にスピチュアリズムが隆盛したのか以前から僕は不思議だったが、この本を読んで謎が解けた。
それまで欧米世界ではキリスト教の教義によって安定していた道徳が、19世紀になり科学技術の急激な発展と成功によって揺らぎ、否定されかねない状況に陥った。
特にダーウィン進化論の登場はキリスト教会にとって不倶戴天の敵の登場と受け取られた。
(現在でもアメリカ中西部では、進化論を否定するキリスト教創造論者が存在する。)
科学が論理的に正しいことを理解しているインテリ層ほど、「旧来のキリスト教道徳の危機」に敏感で、自覚的であった。
そこで登場するのが「霊魂の不滅=死後生存の証明」であった。
霊魂が不滅であることを証明できれば、聖書に書いてあることがすべてその通りでなくても、人間を道徳的に律する理由になるのではないか、と考えたのである。
仏教と儒教をベースにする武士道を倫理とする日本人からすると、科学と道徳を両立させるためにここまで曲芸的な詭弁を考え出さなければならないというのは不可解な感じがする。
しかしそれだけ彼らにとってはのっぴきならない問題だったのだろう。
結局死後生存は科学的に証明されたのか?
それは読んでのお楽しみ、ということにしておこう。
2ちゃんねる新書編集部 編
ぶんか社 2ちゃんねる新書 800円
僕のパートで推薦する本はこれで最後だ。
なにやら堅い本が続いてしまった気がするので、ラストは思いっきりやわらかい本をお薦めしよう。
この本は巨大匿名掲示板「2ちゃんねる」の書きこみを書籍化したシリーズ「2ちゃんねる新書」の一冊。
2ちゃんの書きこみを書籍化した本はいくつかあるが、性質上玉石混合になってしまいがちだ。
この「心霊の不思議な話」は2001年〜2002年にかけてのオカルト版の特定のスレッドを収録したもの。
中身のある書きこみがあると、「強烈にいい話だ…」などとそれに対するレスも含めて収録しており、掲示板独特の雰囲気をなかなかよく再現している。
この本に収録されたスレッドではグロい話や都市伝説的な話、恐怖を感じるような話はなく、主に「死に別れた肉親やペットが会いに来てくれた」というほのぼの心霊体験談が多い。
これが…猛烈に泣けるのだ!
僕は、生まれる前に祖父母が亡くなってしまったので、おじいちゃんおばあちゃんに対するあこがれはあるが実感はない。
そのせいか、「死んだおじいちゃんおばあちゃんが会いに来てくれた」系の話は「ええ話やなぁ〜」とは思っても特に涙腺がゆるむことはない。
だが犬や猫の話はダメなのだ。
ダメといったらダメなのだ。
もう最初の数行で涙で文字が追えなくなってしまうのだ。
言葉を話せぬ小さな兄弟たちの、なんと健気なことよ…。
しかし決して、不愉快な涙ではない。
最近少し心が乾燥肌ぎみの方に、ぜひ読んでいただきたい。
でも電車などの人前で読むのは避けた方がいいかも。
「幽霊なんかいないと思うけど、愛っていうヤツは確かに存在してるんだね。」
ある「うしろの名無しさん」の言葉だが、オカルト道というのは結局ここに行き着くのではないだろうか。