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[5629] Re:機返信 削除
2006/9/15 (金) 04:51:28kawamura

究極の認識力は限りなく予知能力に近づいてゆくという話と、
フォースは着想の点ではまったく関係ないという気が。

なぜならば前者は思考能力の産物であり、まだしも理論で
割り切れる。
ですが、フォースは純粋に謎の力、魔法ですからね。
アレは手から光線を出したりするのは逸脱だけど、神話であり
ファンタジーであるスターウォーズはそれがむしろメイン。
人を越えた善悪の抗争を浮き彫りにするための神パワーです。

まあ、後々には(作ってるほうもよくわからなくなって)アレも
魔法と混同されてしまったけれど・・・サイコフレームとか。
アニメとして表現をやりすぎ、演出しすぎちゃったという
のもある。

こういうとゆきと先生には怒られると思うけど、ケイオスの
もっているテーマはガンダムのアレと方向的には同種のもの
でしょう。スターウォーズよりはるかに近い。
真似とか真似じゃないとかではなく、扱うテーマの方向がね。

究極の認識能力を持つことは未来予知に近づくともいえるし、
認識力の拡大は人と人との過去と現在と未来をつないで、
究極の力「共感能力」にもなってゆく(めぐりあいナントカ)。
ガンダムでも会った事がない人と人が一瞬でわかりあえたり、
習わなくてもサーベルが使えたりする。

アレは未来予測という部分では軍事に利用された。
それがアレの悲しい側面としてある。SW風に言えば暗黒面。
しかし本来アレのすばらしさは「人と人が分かりあえる」と
いうこと。そこに夢を見るのがアレのテーマのはずよ。

しかし、アレはケイオスのサイコメトリーと違って、少し
楽観的に過ぎる部分はある。
究極の認識能力によって他人と完全に共感しあえるという
ことは、人間にとってたいへんな理想論なんだけど、それは
ある意味で「個を失ってしまう」可能性をはらむということ。
他人と自分の体験の境い目があいまいになり、自分と他人の
精神の壁(認識の壁)を失うことになりかねない。
行き過ぎた認識能力はそういう危険がある。

ケイオスはそれと戦い、打ち克って個を保ちつつ力の意味に
開眼する。まさしく超人。
アレはそういう危うさは拾ってない部分があるからね。
まあ、個を保つということに「意味なんかねえ」と言わん
ばかりのエヴァン○オ○みたいな話もあるけど・・・
まあ、最後は解けて液体になって合体するしかないでしょう。
それはもう、人間じゃないんで幸せなのかはナゾ。

というわけで、フォースはそんな深いテーマではないと思う。
言い方が悪いか・・・
フォースはもっとシンプルですから、アレのモトネタには
ならないと思う。

ちなみに別話ですが、観の目については銃夢ファンさんが
書き込みの中でどういうものか説明されてますよ。

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