[スレッド全体]

[5609] 勝手に解釈返信 削除
2006/9/12 (火) 06:43:37kawamura

気と書くと「エネルギー」を利用する方法論になってしまう
けれど、合気と書けば合点が行くのが銃夢の「き」。

気が機会の機なのは、武術におけるタイミングの理論だから。
そのタイミングを計るための観察力が最大限に増幅されると
「機兆(きざし)」まで読み取れるようになる。
ジャシュガンは推手しただけでガリィの内部構造の消耗度
まで「観察」できたわけなので、その時説明はされなかった
けれど機兆レベルまで会得していたんじゃないかなあ。
究極にまで増大した観察力は、予知能力に限りなく近づいて
ゆくわけで。
言葉はおかしいけれど、機は限りなく少ない情報素子
(格闘技で言えば技の起こり)から、「未来を復元」して確定
する。
技の起こりの起こり、その起こりの起こりを洞察できるなら
・・・と、夢が膨らみます。
ただ問題なのは、その確定予測を人間の脳がキャッシュに
ためておけるのかどうか・・・


格闘技をカジっている人も共感できるのは、それだけ理に
かなう説を取り出す力があるということで、ゆきと先生の
講釈師としての面目躍如だというところでしょう。

自分はかなり素手の格闘技マニアだけど、自分では剣道を
ながくやっております。
剣道はボクシング的な技術でほとんどが成り立っており、
かつ徒手格闘技ほど体力差は影響しないのでとても楽しい
ですよ(力と体力で技を潰しにくい。つまり比較的技術が
強さに直結しやすい)。
非常に機会の「機」を実感しやすいと思います。

目で見るより感じろ、というのは意識の使い方ですよね。
目から入ってくる情報だけに集中すると、おのずと相手の
目(視線または上半身)に観察が集中してしまう。
そうすると容易に相手のフェイントにかかってしまうし、
人間視線が一点に集中すると視野が狭くなり、視界の外
からの攻撃に不意をつかれやすい。

だから視線は少し落として、相手の全体を見るようにする。
感覚的に言えば「すこし相手を引いて見るように」する。
そうやって全体を見ようと意識すると「注視点が分散して」
「相手を感じる」という表現がしっくりきます。
格闘技がよくわからない人は、ためしに柱を相手にして
試すとわかるかもしれない。

これが出来ると、相手の技の「起こり(機)」はまず見逃さ
なくなります(理屈上)。
足の踏み変え、ヒジのリズム、肩の振り。
一点を見ず、意識を分散させて相手を全体で観察する。
つまり相手を「感じる」になりますよ。

・・・俺も講釈師ですけどね。

[▼次のスレッド]
INCM/CMT
Cyclamen v3.84