「銃夢」連載開始〜第1話ネーム
〜1990年

11月中旬、トミタさんに何やらいつになく深刻な口調で「重大な話がある」と東京に呼び出された。
11月の神保町はくそ寒かった。
一体なんの話かと思って聞くと、「ビージャンでの連載が決まった」と。
「は?」

当時のビジネスジャンプの編集長が「プロト銃夢」の絵コンテを読み、トミタさん曰く「編集長の鶴の一声で」連載決定だと。
僕はそれを聞いても喜びが湧くどころか、暗い気持ちになった。
“またまた…ぬか喜びさせておいて…なんだかんだと条件つけて結局リテイクだろ…”
「RAINMAKER」と「プロト銃夢」の経験が、すっかり僕を疑心暗鬼にさせてしまっていた。

神田神保町の和風ビジネスホテル「きんゆうかん」(漢字は忘れた…今はなくなってしまった)の薄暗い和室でトミタさんと膝つきあわせて話をした。
僕は疑心暗鬼の気持ちを正直に話した。「プロト銃夢」を描き直すのもいやだと言ったと思う。
しかしどうも、連載決定は本当のようだ。
それも急な話で、年内に出る新年一号に載せるため、締め切りは12月初旬だという。残り三週間を切っている。

トミタさんが帰ってから、僕は「きんゆうかん」最上階の大浴場で汗を流した。
すると…まるで魔法のように、先ほどまでの暗〜い気分が雲散霧消して、もりもりとやる気が出てきた!
たぶん疲れていたのだろう。疲れてからだが冷えているときには風呂に入るに限る。

家に帰ってからさっそくネームを練り始めた。
(※この時から絵コンテでプロモーションする時代は終わり、絵は簡単なアタリになっていったので、業界用語の「ネーム」と表記する。)

始めから「プロト銃夢」の焼き直しをやるつもりはなかった。
「RAINMAKER」や「プロト銃夢」で物足りなかったのは、「飛人」や「大・摩神」でやったような世界全体のキャラ立ちがないことだった。その題材にふさわしい舞台、その世界を象徴するモニュメントが足りないことには気付いていた。

ある日、布団の中で妄想しているうちにふと空中都市のイメージが閃いた。
それは軌道エレベーターの末端にあり、地上のコンビナートから消費財を吸い上げ、ゴミを地上に廃棄する。地上は長年のスクラップが堆積している…。
一瞬にしてその世界の生態系・ヒエラルキーまでが完全に把握された。
サイボーグが生きる世界としてはこれしかない!というものができた。
後はネーミングが問題だ。はじめノートには「ヘブンズ・ゲート」という名前でメモしてあったが、ベタすぎるし長すぎる。
天空都市として昔の人が幻視したという「第二のイェルサレム」から取り、軌道エレベーターの宇宙側末端にあるであろう都市を「イェール(Jeru)」、地上側末端にある都市を「ザレム(Salem)」とした。発音はドイツ語読みである。

異世界物ばかり描いてきている僕だが、ナレーションやセリフによる背景説明のいっさいない導入部が理想的だと以前から考えていた。
そのために主人公のガリィを記憶喪失にして、この世界のことを何も知らない読者と同じ視点で見ていくというアイディアを考えた。精神もはじめは幼児並にして、少しづつ成長させればいい。
これは読者の同情や共感も得ることができるので一石二鳥だ。

そしてガリィを発見するのはサイボーグ技術に精通し、大人の視点からガリィを育て導くことのできる男性。しかし彼には隠された暗い面があって…。

と、ここまでいけばもはやできたも同然、と「銃夢」第1話のネームを描き上げた。
自信を持ってトミタさんに見せに上京した。
トミタさんは様変わりした「銃夢」に驚いたが、すぐに気に入ってくれた。
しかし「このザレムのコマはもう少し大きくとった方がいい」などの細かいチェックが入る。
いちいち実家に帰って直してからまた上京して、では間に合わないので、コピー紙をもらって編集部の片隅の机で直しだ。

大きなリテイクが入ったのは、クライマックスの部分だ。
元のバージョンでは、イドの犯人疑惑がはれた直後、ガリィは女ミュータントに襲われそうになる。それをイドが必殺のロケットハンマーを点火してミュータントを倒し、ガリィを助ける、といった形だった。
これをトミタさんは良しとしなかった。ここは主人公が戦うべきだというのだ。
僕はイドのロケットハンマーのカッコ良さを主張したが、確かにトミタさんの言うことにも一理ある。
しかしサイボーグとはいえ丸腰の女の子にどう戦わせようというのか?
とりあえず僕はガリィが出合い頭にミュータントをパンチで倒すというバージョンを描いて見せた。
しかしトミタさんはまだ納得しない。

ここでトミタさんは、後々の「銃夢」の形を決定づけてしまう伝説的な一言を述べた。
「なんか必殺技がほしいな〜。こう、カムイの飯綱落としのようなの」
「い、飯綱落としですか〜!!」
ここまで作品に格闘要素を入れることを考えていなかった僕は完全に意表をつかれた。
同時に、これは面白いと思った。

昔、85〜86年ごろ、無重力中で格闘したり、サイボーグに生身の人間が素手で立ち向かうにはどうすればいいかなどをいろいろ考えていた時期がある。結局それらのアイディアは当時の作品に結実する機会がなかったのだが、今こそそれを解き放つときだ!
問題はここでもネーミングだ。
漫画におけるこういった要素は、そのネーミング次第で80%価値が決まってしまうといって過言ではないだろう。
この頃、触れずに相手を倒すとかいう怪しげな「気功術」がはやっていた。僕はその手のオカルト武術には懐疑的だが、「きこうじゅつ」の音だけをいただき、「気功」を「機甲」に変え、「機甲術」にした。装甲した敵を倒す術という意味をこめた。グッドだ。ほとんど駄洒落だが。
さて「機甲」はドイツ語で「パンツァー」という。第二次大戦のドイツ軍戦車のプラモデルや松本零士の戦記漫画にはまった子供には常識の範疇だ。
では「術」は?これはその場(集英社編集部&きんゆうかん)ではわからなかったので、実家に帰ってから辞書を引いて調べた。「術」はドイツ語で「クンスト」という。
「パンツァー・クンスト」…おお、かっこいい。これにより駄洒落を越えた説得力を帯びた。
異世界物においては説得力というのはきわめて重要だ。

記憶を失った少女ガリィは宇宙起源の格闘術の使い手で、生命の危機に直面したときに反射的に習い覚えた技が出る。
この設定によりガリィの過去にも興味が湧き、主人公を能動的に動かしていく理由ともなる。

だがこの設定にしたために格闘戦を前面に押し出すこととなり、最初想定していた銃器によるガンファイトの出番がなくなってしまった。そしてそれを合理化するために後に「ファクトリー法でクズ鉄町は銃器禁止になっている」という設定まで作ることになってしまった。
第1話の時に「銃夢」というタイトルを変えることも考えたのだが、トミタさんの強いプッシュによってそのまま残された。
ずっと後になって「銃夢」は実は「GUN・無」なんだよ〜と自虐ギャグを飛ばす羽目になったのには、このような歴史的経緯があったのである。
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