生まれた日、そんな昔のことは覚えてない
〜1967年3月20日
まずは僕がおんぎゃあとこの世に生まれた日から書こうと思う。
だが、残念なことに、当人には当時の記憶がないのである。生まれたのは確からしいのだが……。
しようがないので、両親などの証言を元に書くことにする。

1967年、日本は高度経済成長のただ中にあったそうだが、まだおおむね貧乏で、街にはオート三輪やチンチン電車が走り、学生達は血をたぎらせてゲリラ活動を展開し、カラーテレビはまだ珍しく、海の向こうではまだベトナム戦争が続いており、力道山はすでに死んでいた。
僕はその年の3月20日、東京都蒲田のろくごう病院で生まれたということである。
もちろん、これらはすべて後から知ったことだが。
当時蒲田で肉屋を営んでいた父・タダマサと母・カヅエの長男としてこの世に出てきた。
泣いたりぐずったりすることのない、非常に手のかからない赤子だったそうである。つまり生まれつき喜怒哀楽をあまり表に出すことのない、内向的な子供だったということだ。

出産の時、鉗子分娩【かんしぶんべん】といって、「鉄の爪で頭をがっしとつかんでグリグリと」(父タダマサ談)母の産道から引き出されたそうだ。
そのときの傷跡が元で、左右のまぶたと耳たぶの形が違う。
「出産時外傷」という心理的トラウマの事を知ったのはかなり後のことだが、僕は自分にこれがあるのではないかと疑っている。
父も母もおおむね愛情深く、あまり苦労しない子供時代を送ったにもかかわらず、僕の心の中には幼少時から深い恐怖の染みとその裏返しの残忍さが根をおろし、それに苦しめられてきた。
それが何に起因するものか、ずっと謎に思ってきたのだが、「出産時外傷」という考えはこの謎を解いてくれるように思える。
母の胎内での充足したまどろみから、突如として暴力的な苦痛をもってこの世に引きずり出されたのだ。外界に対し常に恐怖と警戒心を持ち、防御的な態度を示すようになるのも無理はない。

父タダマサはこの業深き子に「ゆきと」と名付けた。本当は漢字で書く。漢字自体は簡単な字だが、誰もその字体から「ゆきと」と読むことはできないような、突拍子もない組み合わせの字である。
いったい中卒の父タダマサから、どうしてこのような命名が可能だったのか、今もって謎である。
苦痛に満ちた出生に変な名前。
僕の変人としての人生はほぼこの時に運命づけられたといっていい。
みなさんも、自分の子を変人にしたいのなら、変な名前を付けるのがよろしい。
ゆきとクロニクルへ
ゆきとの書斎トップへ
ゆきとクロニクル