特別寄稿の壱
「デモシカハウスの怪」 木城 ゆきと |
今は昔、1985年。
ビジネスジャンプが創刊され、キャメロンの「ターミネーター」が公開され、例の日航機墜落があった年として記憶されている年です。 僕は高校卒業後、東京は世田谷区、千歳烏山の朝日新聞専売所に住み込みの新聞奨学生として、某デザイン専門学校に働きながら通学しとりました。 新聞配達の朝は早い。 朝5時に、頑丈な配達用自転車が重みでしなるほど新聞を積んで専売所を出発し、受け持ちの地区を450部ほどの新聞を配達し終えて帰還するのが朝7時ぐらいです。 専売所にきて3ヶ月ほどが過ぎ、ようやく新聞配達にもなれた頃だったと思います。 僕の受け持ちの地区内に毎日新聞の専売所があり、ライバル社だというのに奇妙だと思うかもしれませんが、そこにも新聞を配っていました。 そして、その毎日新聞専売所の隣に、20坪ぐらいの空き地がありました。 昨日までなにもなかった空き地の入り口に、突如として出現したそれは、まだウブだった僕の常識観念を粉砕するに充分なしろものでした。 白い洋風アーチ型の門。シルエットは、そう、フランスの凱旋門に似ています。 うぉぉぉぉ、なんだこれは。 近くで見ると、けっこう粗雑な作りで、ベニヤを張り合わせてペンキで白く塗ったもののようです。 なんだ「デモシカ」ってのは。 毎日の専売所の人に聞いてみようと思っても誰もいないので聞けません。 7時過ぎ、配達が終わり、わざわざ帰り道のルートを変更して「デモシカハウス」を確かめに行きました。 しかしなぜか、いつもなら通勤時間帯なのでたくさん人が歩いているはずが、周りに一人も人がいません。僕も急いで学校に行かなければならないので真相究明に時間をかけるわけにはいかないのでした。 その日の夕刊を配るときにも、まだ「デモシカハウス」はありました。 かれこれ2日ほど「デモシカハウス」は存在しました。 |