[ 番外編 ]

UFOと
宇宙人3




「本当にあった」UFO事件


ここまで見てきた事件は、常識的に考えれば「荒唐無稽」としか言えない、信じられない事件のオンパレードであることは認めざるを得ない。
そもそも「UFO=宇宙人が乗る宇宙船」という考え方自体、科学的には荒唐無稽な話である。

宇宙人がわざわざ遠い星からやってくること、宇宙人が英語をしゃべったりすること、目撃者によって宇宙人の姿が千差万別なこと(最近は「グレイ」という宇宙人がポピュラーになっている)、何万人もの人が宇宙人に拉致されているというのに物証がひとつもないこと…などなど、UFO・宇宙人事件の「穴」を指摘すれば、それだけで何冊もの本が書けてしまうほどだ。
また有名なアダムスキーやビリー・マイヤーなどのコンタクティー(宇宙人と通信する人。宗教的な意味合いが強い)、あるいは「ウンモ星人事件」のような信憑性の低い事例が多いのも、このジャンルの特色と言える。

だが何事もそうだが、ひとつのことが間違いだからと言って、他のことまで間違いとは限らない。この章では数あるUFO事件の中でも非常にまれな、でっち上げや幻覚などでは決して説明のつかない「もっとも信頼性のある」UFO事件を紹介して終わりにしたい。


●キャッシュ&ランドラム事件


新年を間近に控えた1980年の暮れ、12月29日の寒い夜のこと。婦人二人と子供一人を乗せた車(新車のビュイック・カットラス)が自宅のあるテキサス州デイトンに帰るため、ヒューストン湖にほど近いハフマンという町の幹線道路を走っていた。

車を運転していたのは、まだ若いレストラン経営者ベティー・キャッシュで、同乗していたのはベティーの店で働くビッキー・ランドラム(当時57歳)とその孫のコルビー(当時7歳)だった。

夜の9時ごろ、三人の乗る車は林の中の人気のない幹線道路を走っていたが、やがて前方の木々の上に何かまぶしく光る物体が浮いているのが目に入った。光はどんどんこちらに迫ってきて、それが「角の取れたダイヤモンド型」をした謎の飛行物体であることがわかった。その物体は下から時おりすさまじい炎が噴き出し、その勢いは下の木々に燃え移ってしまうのではないかと思われるほど強烈だった。

三人の乗った車は飛行物体に50メートルほどまで近づき、そこで危険を感じて停車すると、三人は車を降りてその物体を見守った。物体は地上から8メートルぐらいまで降下すると、炎を噴き出しては上昇という行動を繰り返していた。その物体は見ている三人が汗をかくほどの熱を放射し、時おり「ビーッ」という音を発したという。

孫のコルビーは恐ろしくなり、祖母に車に戻るようせがむと、祖母のビッキーはコルビーをなだめながら言った。「炎の中から救世主が現れますよ」彼女は敬虔なクリスチャンで、UFOや異星人など信じていなかったため、目の前の光る物体を、神が現れる前兆だと思ったらしい。

やがてビッキーとコルビーは車内に戻ったが、物体が放つあまりの熱気でドアノブやハンドルはさわれないほど熱くなっており、熱気で柔らかくなったダッシュボードには指の跡がついてしまったという。ただ一人ベティーだけは、物体が飛び去るまでその様子を呆然と眺めていた。

物体が飛び去ったあと、今度は多数のヘリコプターが姿を現した。回転翼を二つ持つ「ボーイングCH‐47チヌーク」とベル社のヒューイと思われるヘリコプターが、まるでさっきの飛行物体を取り囲むようにして飛んでいったという。三人は車を8キロほど走らせてそこから様子を伺うと、ヘリコプターは全部で23機だったのが確認できた。

やがてUFOとヘリコプターは飛び去ってしまったので、ベティーたちは自宅があるデイトンへと向かった。ビッキーとコルビーを送り届けたベティーは、自宅に帰ると家族に事件のことを話して聞かせた。しかししばらくすると気分が悪くなり、ベティーの肌にはひどい日焼けの症状が現れだした。首は腫れ上がり、まぶたに浮き出た水疱が破れ、彼女は一晩中嘔吐を繰り返した。

ビッキーとコルビーも、ベティーに比べれば症状は軽かったが、日焼けしたように肌が赤くなり、下痢と嘔吐を繰り返した。三人は3日後に救急外科に入院したが、そのころには友人にも判別がつかないほどベティーの容貌は変わってしまった。ビッキーは髪の毛が抜け落ちてしまい、手の甲には火傷による穴が開いてしまっていた。これらの症状のため彼女らの闘病生活は2年間も続くこととなり、医療費は合計で2000万ドルにもなってしまった。

翌年の1981年、ベティーら三人は弁護士と相談の上、アメリカ政府を相手取って医療費にかかった2000万ドルの支払いを求める損害賠償訴訟を起こした。根拠となるのは、UFOと同時に目撃された多数のヘリコプターである。しかし軍の広報担当は事件当日の夜、ハフマン上空を飛んでいた航空機は存在しないと明言。テキサス州とその周辺の軍の基地は、事件との関わりを否定した。

後の調査によると事件当日には、ベティーら三人以外にもUFO目撃者が多数いたことが判明している。しかし1986年、この世にも珍しい「UFO裁判」は原告側の全面敗訴という形で幕を閉じた。


●アラスカ上空の巨大空母


これは1986年(昭和61年)にアラスカ上空で、日本航空の貨物機が巨大UFOと接近遭遇した事件である。当時、新聞などのマスコミでも大々的に報道されたので、覚えている方もおられると思う。

1986年11月17日、パリ発アンカレッジ経由東京行き日航ボーイング747貨物機が、アメリカのアラスカ州フェアバンクス上空10600メートルを航行していた。貨物機のため乗員は寺内謙寿機長(当時47歳)を含む三名のみで、時刻はアラスカ時間で午後5時10分のことである。同機はアンカレッジの北東約751キロにさしかかっていた。

突然、左前方約5キロ、下方約600メートルのところに航空機の灯火らしき光が二つ現れた。光は「じゃれあうような」動きを見せながら、747貨物機と平行して7分ほど飛行した後、瞬時にして同機の前方約300メートルの位置に移動した。その物体の放つ光で、同機の操縦席内は昼間のように明るくなり、寺内機長は「顔に熱を感じるほどだった」と証言している。その光は、無数の排気口のようなものが帯状に集まったところから放たれていたという。

確認のためアンカレッジ航空管制センターに連絡を入れてみたものの、レーダーには何も映っていないという返答が帰ってきた。そうこうするうちに物体は左前方40度の方向に消えたが、すぐにまた前方に姿を現した。再びアンカレッジに連絡を入れるが、やはりレーダーに機影はないとのこと。そこで寺内機長は、日航機に搭載されている気象観測用レーダーを使ってみた。すると同機から36キロ地点に反応が現れた。ただしこのレーダーには金属製のものは赤く映るはずなのだが、その物体は緑色の反応を示していた。

そのうちに同機はフェアバンクスの上空にさしかかった。すると街の光で、前方を飛行していた物体の全体のシルエットが浮かび上がった。その物体はなんと日航機の10倍はあろうかという、巨大な球形の物体だったのである。自衛隊で戦闘機パイロットも経験している寺内機長の証言によると「航空母艦並みのサイズ」であったという、とにかく飛行物体としては常識はずれの大きさだった。

寺内機長は「とにかく逃げなければ」と思い、360度旋回などを試してみたものの、物体は寄り添うようについてくる。この時点で寺内機長はその飛行物体が「地球上のものではない」と判断したらしく、アンカレッジ管制センターから「確認のためF−15(戦闘機)を出すか?」というアドバイスに、無用な犠牲者が出ては、とこの申し出を断った。

そうするうち、同機はアンカレッジの北70キロの地点で、アンカレッジ発フェアバンクス行きユナイテッド航空機とすれちがった。そこで物体はスッと遠のき、その姿は消えてしまったという。約50分に渡る接近遭遇だった。

目撃した飛行物体について寺内機長は「あれは人間世界の物じゃない、我々の次元の問題じゃない」と語っている。




参考LINK → Wikipedia「日航ジャンボ機UFO遭遇事件

恐怖プリーズ
《 世界10大怪奇・前編 》


《 世界10大怪奇・後編 》

参考文献
政府ファイルUFO全事件
(ピーター・ブルックスミス/大倉順二/並木書房)
人類はなぜUFOと遭遇するのか
(カーティス・ピーブルズ/皆神龍太郎/ダイヤモンド社)
エイリアン・ベース
(ティモシー・グッド/斎藤隆央/人類文化社)
ボーダーランド
(マイク・ダッシュ/南山宏/角川春樹事務所)
週間エックスゾーン
(デアゴスティーニ・ジャパン)
世界謎物語
(ダニエル・コーエン/岡達子/社会思想社)
世界不思議物語
(N・ブランデル/岡達子ほか/社会思想社)
世界怪奇実話集
(N・ブランデルほか/岡達子ほか/社会思想社)
世界謎の10大事件
(醍醐寺源一郎ほか/学研)
世界はこうしてだまされた
世界はこうしてだまされた2
(高倉克祐/悠飛社)
最新 異星人遭遇事件百科
(郡純/太田出版)
謎の怪事件ファイルX(日本編)
(並木伸一郎/二見文庫)
宇宙人の死体写真集
宇宙人の死体写真集2
大謀略
(中村省三/グリーンアローブックス)
宇宙人とUFOとんでもない話
(皆神龍太郎/日本実業出版社)