[ 歴史4 ]

死神ベンツ



サラエボ事件


「世界10大怪奇」で今まで紹介してきた話の中でも、今回はずば抜けて死者の数が多い、最悪の「呪われた」物語である。

1914年6月28日、オーストリア皇太子フェルディナンド大公は妻のゾフィーをともない、ボスニアの首都サラエボにやってきた。大公夫妻の14回目の結婚記念日で、ドライブが目的だった。

大公夫妻は、オーストリア第5師団長ポチオレック将軍と2名の護衛と共に、6人乗りオープンの特注車に乗り込んだ。血のような赤で塗られた、当時最新式のベンツ540である。走り出すや否や、民衆の中から爆弾が投げ込まれた。しかしはね返って転がり、次の車が通った時に爆発した。けが人が出たものの、大公夫妻は何事もなくそのまま走り出した。

先の爆発騒ぎでけが人が出たため、大公は予定のルートを変更し、帰りにけが人の見舞いに行くことにした。運転手は予定変更を知らず、本来の道に入ってしまい、バックで戻ろうとした。

その時ひとりの男が飛び出して、拳銃を乱射。大公夫妻を撃ち殺した。止めるひまもない暗殺劇だった。犯人はその場で逮捕。ガブリロ・プリンツィップというセルビア人愛国者だった。


第一次世界大戦


オーストリア政府は、皇太子暗殺の責任をセルビアにあるとして宣戦を布告。ドイツの支援を受けたオーストリアに対し、セルビアはロシアに援助を求め、フランス、イギリス、アメリカ、日本までを巻き込む第一次世界大戦へと拡大した。

4年間続いたこの戦争で、死者は軍人・民間人あわせて2000万人を数えると言われている。


「呪われた」赤いベンツ


問題のベンツは皇太子暗殺事件の後、車に同乗していたポチオレック将軍の手に渡った。前線で指揮に当たった将軍は3個師団を失う大敗を喫し、精神を患って入院。そのまま生涯を終えた。

次にベンツは、ポチオレック将軍の参謀を務めていたドスメリア大尉の手に渡った。9日後、運転中に農夫2人をひき殺したあげく立木に激突、首の骨を折って死亡した。

第一次大戦が終わると、ユーゴスラビアの州知事がベンツを修復し、最新の改良を施した。彼は満足して乗り始めたものの、4ヶ月で4度の事故を起こして右腕を失った。「この車には死神がついている」と言って、車の解体を命じるほどの恐怖を味わった。

しかし州知事の友人のスリキスという医師が解体に反対し、ただ同然でベンツを譲り受けて乗り回した。「呪いなどばかばかしい」と彼は言い放った。6ヶ月後、路上で転覆しているベンツが発見され、スリキスはその下でつぶれていた。

次にベンツは、オランダ人の宝石商の手に渡った。1年後、その宝石商は謎の自殺を遂げる。

その後ベンツはある医者の元にあったが、患者がベンツの呪いを怖れて近寄らないので、サミレスというスイス人のカーレーサーに売り飛ばした。サミレスは呪いなど気にもせず、すぐにベンツでアルプス・ドロミテのロードレースに参加。ベンツはレース中に転覆してサミレスは放り出され、石壁に叩き付けられ首の骨を折って死亡。

次にドイツの実業家がベンツを手に入れたが、入手してわずか2日後、石壁に衝突して死亡した。


ベンツの最期


さすがにこの頃になると「呪い話」が広まってなかなか買い手がつかなかったが、巡り巡ってサラエボに住む農場主ゴルシェがベンツを買い取った。彼は注意深く運転し、数ヶ月を無事乗り切った。しかしそこまでだった。ある朝、エンストしたまま動かなくなったベンツを町で修理するため、通りかかった荷馬車で引っ張ったところ突然暴走し、荷馬車をはね飛ばして横転。荷馬車の持ち主とゴルシェはこの事故で即死する。

ベンツは修理のため修理工場に運ばれた。その工場の経営者タイバー・ハーシュフィールドの所有となったベンツは、「禍々しい」赤色から明るいブルーに塗りかえられた。ある結婚式に呼ばれたハーシュフィールドは、5人の友人を誘ってベンツで繰り出した。途中でベンツは暴走し、対向車に正面衝突してハーシュフィールドと友人4人が死亡した。

ベンツは再び修理されたものの引き取り手もなく、オーストリア政府に接収され、ウィーン博物館入りとなった。案内係のカール・ブルナーはベンツをいたく気に入り、誰もシートに座らせず大切に管理した。その後、第二次世界大戦の開戦で、ウィーン博物館は連合軍の爆撃にあって破壊された。ベンツの破片も、案内係のブルナーの遺体も見つからなかった。


第一次大戦の裏で


話を再び第一次世界大戦の開始時に戻そう。ここに奇妙な偶然が出現している。

第一次大戦の引き金となった「サラエボ事件」で、オーストリアに宣戦を布告された弱小国セルビアは、列強国のひとつロシアに支援してもらうことでオーストリア・ドイツ連合に対抗するしか道はなかった。

そして当時帝国だったロシアは、他の列強国と違って皇帝ニコライ二世に国家権力が集中しており、ニコライ二世の決定にすべてがかかっていた。

このロシア皇帝ニコライ二世に、かねてから「オーストリアの関わる戦争に介入するのを避けるように」と進言していた男がいた。皇帝がこの男の言う通りにしていれば、確かに世界大戦は回避できたのだ。

しかし1914年6月28日、その男グレゴリー・ラスプーチンは故郷ポクロフスク村で暗殺者に刃物で刺され、ひん死の重傷を負う。これにより、ニコライ二世への戦争回避の進言は不可能となった。

そしてラスプーチンが刺された同日の同時刻、サラエボでフェルディナンド皇太子が暗殺されたのである。ニコライ二世はセルビアの要請を受けて全面動員を決定、大戦への幕開けとつながった。

死者2000万人を出した世界大戦と「呪い」は、誰にも止めることはできなかったのである。





参考文献
世界不思議百科
(コリン・ウィルソンほか/関口篤/青土社)
サイキック
(コリン・ウィルソン/荒俣宏ほか/三笠書房)
オカルト
(コリン・ウィルソン/中村保男/平河出出版社)
心霊現象を知る事典
(春川栖仙/東京堂出版)
ボーダーランド
(マイク・ダッシュ/南山宏/角川春樹事務所)
週間エックスゾーン
(デアゴスティーニ・ジャパン)
世界謎物語
(ダニエル・コーエン/岡達子/社会思想社)
世界不思議物語
(N・ブランデル/岡達子ほか/社会思想社)
世界怪奇実話集
(N・ブランデルほか/岡達子ほか/社会思想社)
世界謎の10大事件
(醍醐寺源一郎ほか/学研)
別冊宝島415現代怪奇解体新書
(宝島社)
タイタニックがわかる本/改訂増補版
(高島健/成山堂)
トンデモ超常現象99の真相
(と学会/洋泉社)
ニッケル博士の心霊現象謎解き講座
(ジョー・ニッケル/皆神龍太郎/望月美英子/太田出版)
超常現象大事典
(羽仁礼/成甲書房)
世界ミステリー実話集
(学研)
ムーミステリー大事典
ムーミステリー大事典2
(泉保也/学研)


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