実在する「もう一人の自分」
自分と非常に良く似た人間がいたとしても、自分自身は「世界にただ一人」であるはずだ。しかし自分の意思とは無関係に「もう一人の自分」が存在するとしたら…そう言われた時あなたは否定できるだろうか。
非常にまれではあるが、昔から洋の東西を問わず、この現象は報告されているのである。この現象を「二重身(ドッペルゲンガー)」という。
ドッペルゲンガーは「死の前兆」として、古くから恐れられてきた現象である。
ロシア女帝エカテリーナ2世(1729-96)は、玉座に座すもう一人の自分を目撃した後死んだという。また芥川龍之介(1892-1927)は二重身に異常な興味を示し、後に35歳で服毒自殺を遂げている。しかしゲーテ(1749-1832)、モーパッサン(1850-1893)、ジークムント・フロイト(1856-1939)などはドッペルゲンガーを目撃した後も活躍を続けたという。一概に「死の前兆」という訳でもないようだ。
しかし、ドッペルゲンガーが薄気味悪い現象であることはなんら変わりはない。それが本人のみならず他人をも巻き込んだ場合は、自分の存在が危うくなる危険すら秘めているのである。
とは言え、そんな現象が本当に起こりうるのだろうか……?普通の人なら信じられないのが当然だろう。だが今から述べる事件は、それが現実に起きたことを示す稀有な事例である。
「二人のエミリー」
この話の主人公はエミリー・サジェというフランス人。彼女は1829年に16歳で教師の資格を取ってから、実に20回近く各地の学校にて退職に追い込まれた。原因は彼女が「二人いる」ことだった。
1845年、ラトヴィア共和国の名門ノイベルケ寄宿学校が、教師としてエミリーを迎え入れた。貴族子女のみが集まる名門女子校において、彼女は優秀な教師としての役割を期待されていた。そして確かに彼女は優秀だったらしい。だが赴任していくらもたたないうちに、「二人のエミリー先生」という噂話が生徒たちの間で広まり始めたのである。
いわく、フランス語の授業中に「もう一人の先生」から数学を教わった、エミリーが黒板に向かって書いている時「分身」も書くまねをしていた、「分身」はエミリーの食事中後ろに立って食べるしぐさをまねしていた…等々。
エミリーが赴任して数週間が経つと、生徒だけでなく教員たちの間でも「分身」の目撃者が現れ、もはや噂話で済む段階ではなかった。この頃までは「分身」は本人のしぐさを真似するような動きだったのだが、やがて「本人」とは関係なく自由な行動をするようになっていった。
目撃者は「42人」
ある日、生徒42人が講堂で裁縫作業に取り組んでいた。担当教師はエミリーではなく別の人物だったが、生徒たちの窓越しに見える場所(前庭)で、エミリーは花を摘んでいた。
しばらくすると裁縫担当の教師が所用を思い出したのか、席を離れ講堂から出て行った。生徒たちはそのまま作業を続けていたが、ふと気がつくと、教師の席にはエミリーが座っていた。だが窓の外にも花を摘んでいるエミリーの姿がある。生徒たちは動揺したが、以前ほど恐怖に駆られるような事はなかったらしい。この頃には「分身」の目撃が度重なっていた証拠だろう。
そのうち二人の生徒が意を決して立ち上がり、エミリーの「分身」に近づいていった。「分身」はその間、身じろぎもせず席に座ったままだった。生徒が思い切って「分身」に触れてみると、垂れ幕を押したような頼りない感覚があったという。もう一人の生徒が「分身」の座っている椅子とテーブルの間を通ってみると、何の抵抗もなく通り抜けた。これらのことに「分身」は何の反応も示さず、次第に姿が薄くなり消えていった。
一方外で花を摘んでいたエミリーはその間、気分が悪くなり急激な疲労感に襲われていたという。
「分身」がいるために
「分身」の出現はその後一年間続き、「分身」が出現すると本人のエミリーは決まって疲労感、倦怠感に襲われたという。今やこの騒ぎは学校のみならず、地域住民や生徒父兄をも巻き込む大問題になっていた。エミリー本人は生徒たちに慕われる教師であったにも関わらず、たった一年間で全生徒42人のうち30人が自主退学するという事態に発展した。全てはエミリーの「分身」が原因だった。
ノイベルケの校長ブークはやむなく、この若く優秀なフランス人女教師を解雇する。エミリーは涙を飲んでノイベルケを去るしかなかった。ノイベルケ寄宿学校は元の人気を取り戻し、再び生徒が入学してくるようになった。
エミリーは傷心のままロシアへ渡ったという。
その後の彼女の行方は杳として知れない。
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