[ 歴史3 ]

ファラオの
呪い


世界で最も有名な「呪い」


現在、世界で最も有名な古代エジプト王朝のファラオ(王)と言えば、第18王朝ツタンカーメン王の名が上がるだろう。

紀元前1333年、推定10歳ほどで王位についた「名もなき」王ツタンカーメン(トゥット・アンク・アメン・ヘカ・イウヌウ・シェマア)が今日ここまで有名なのは、その王墓の発見自体が偉業だったこともあるのだが、それ以上に王墓発掘時にまつわる「ファラオの呪い」によって、この名もなき少年王の名は世界中に知れ渡ったのである。

まずはその「呪い」の経緯を今一度たどってみることにしよう。


王墓発掘


この歴史的偉業に携わった中心人物は、イギリスの地方貴族ジョージ・エドワード・スタンホープ・モリニュークス・ハーバート(第5代カーナボン伯爵)と、生真面目なイギリス人考古学者ハワード・カーターの二人である。

療養のためにたびたびエジプトを訪れていたカーナボンは、古代エジプト王朝に惹かれ考古学に傾倒していた。しかし彼は発掘の経験がなく専門家の助力が必要だった。知人のつてで紹介されたのは、騒ぎを起こして考古学から離れていたハワード・カーターだった。

1915年、カーナボンとカーターはエジプト考古局から「王家の谷」での発掘許可を取得し、発掘に乗り出す。カーターには長年の綿密な調査による確信があったのだが、芳しい成果は得られず、そのまま無為に5年間が過ぎ去った。カーナボンが抱える莫大な財産も底をつく寸前となった6年目の1922年11月4日、ついに王墓に続く階段を発見、26日には王墓の入口に到達した。

王墓の
入口に開けた穴から中を覗き込んだカーターは、しばし沈黙していた。後ろにいたカーナボンはいらついて「何か見えるかね?」と彼に尋ねた。
カーターはこう答えるのが精一杯だったという。

「はい。素晴らしいものが」


「ファラオの呪い」の始まり


こうして莫大な量の財宝と共に発見されたツタンカーメン王の墓は、瞬く間に世界中に知れ渡ることとなった。新聞各社もこれを大々的に取り上げ、カーターとカーナボンは一躍時の人となった。

ところが事態は暗転し始める。翌年の1923年2月、カイロにいたカーナボンは高熱で倒れた。虫に刺された所を剃刀で傷つけて熱病になったなどとも言われるが、確かなことは不明である。昏睡状態が続いた4月6日、家族が見守る中カーナボンは息を引き取った。享年57歳。その時突然カイロ全市が停電に見舞われた。この原因はいまだにわかっていない。同時にカーナボンの愛犬が遠吠えを上げたかと思うと、そのまま絶命した。「呪い」の幕が上がった瞬間だった。


死者続出


カーターの助手で「保存技術の天才」と言われたA.C.メイスは肋膜炎を悪化させて死亡。同じく助手のリチャード・ベセルも循環器不全で死亡。カーナボンの友人で金融業者のジョージ・J・グールドは、王墓を尋ねた翌日に高熱で死亡。ジョエル・ウールという英国の実業家は墓を見学して帰途につく途中、高熱を発して死ぬ。
ツタンカーメンのX線撮影をした写真技師A.D.リードは、英国に帰った1924年に衰弱死。ツタンカーメンの検死を行った二人の医師D.デリーは肺虚脱で、A.ルーカスは心臓発作で死亡。1929年にはカーナボンの未亡人アルミナが虫に刺されて死んだ。
この年までに「呪い」で死んだ人の数は実に22人に達している。

カーターに協力していたメトロポリタン美術館のエジプト学者ハーバート・ウィンロックは、死んだ者たちの情報を集めてリストアップし、死因に因果関係がないことを明らかにした上で
「ファラオの呪い」的考え方を批判した。直後にウィンロックはフランス人の妻に殺され、たちどころにリストの仲間入りを果たしてしまった。


「呪い」はでっち上げ?


恐るべき勢いで吹き荒れた「ファラオの呪い」であったが、しかし免れた人々もいる。発掘を指揮した当のハワード・カーターは1939年に死去、66歳だった。またカーター、カーナボンと共に最初に王墓に入ったカーナボンの娘イブリン・ハーバート(入室当時20歳)は享年78歳、1980年に亡くなった。

また「ファラオの呪い」というのは新聞記者たちのでっち上げ、という見方もある。というのは王墓発掘当時、カーナボンは新聞記者たちの質問責めによって作業を中断されることを嫌い、また資金調達のために、王墓発掘に関する全ての情報をゆだねる独占契約を「ロンドン・タイムズ」紙と交わしたのである。このため世界中の新聞社から反感を買い、カーナボンの死によって「ファラオの呪い」という話が新聞記者たちによって創作されたというのである。


生き続ける「ファラオの呪い」


「呪い」が創作された面は否めない。しかし王墓発掘の直後に「急死」が相次いだのも事実なのである。何を持って「呪い」とするかは見方によって変わってくるが「呪い」は今後も消え去ることはないだろう。最後にもう一つ事例を上げてみる。

王墓発掘からずっと後の1972年、カイロ博物館責任者ガマル・メフレズはロンドンで開かれていた「ツタンカーメン遺宝展」に不吉な噂があることを一蹴し、こう語った。
「私を見てください。墓とミイラに人生を捧げてきた私が、いまだに何でもないんです。全てが偶然の出来事なのです」

4週間後、メフレズは脳卒中で死亡した。





参考文献
世界不思議百科
(コリン・ウィルソンほか/関口篤/青土社)
サイキック
(コリン・ウィルソン/荒俣宏ほか/三笠書房)
オカルト
(コリン・ウィルソン/中村保男/平河出出版社)
心霊現象を知る事典
(春川栖仙/東京堂出版)
ボーダーランド
(マイク・ダッシュ/南山宏/角川春樹事務所)
週間エックスゾーン
(デアゴスティーニ・ジャパン)
世界謎物語
(ダニエル・コーエン/岡達子/社会思想社)
世界不思議物語
(N・ブランデル/岡達子ほか/社会思想社)
世界怪奇実話集
(N・ブランデルほか/岡達子ほか/社会思想社)
世界謎の10大事件
(醍醐寺源一郎ほか/学研)
別冊宝島415現代怪奇解体新書
(宝島社)
タイタニックがわかる本/改訂増補版
(高島健/成山堂)
トンデモ超常現象99の真相
(と学会/洋泉社)
ニッケル博士の心霊現象謎解き講座
(ジョー・ニッケル/皆神龍太郎/望月美英子/太田出版)
超常現象大事典
(羽仁礼/成甲書房)
世界ミステリー実話集
(学研)
ムーミステリー大事典
ムーミステリー大事典2
(泉保也/学研)


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