|
驚天動地の大爆発

太古の昔、人類が誕生する以前。地球を支配していた恐竜たちが突如滅び去ったのは「巨大隕石の落下」によるものという説が有力視されているのは、みなさんもご存じの通りである。
幸い、我々人類の歴史が始まってからというもの、人類が滅亡に追いやられるほどの「巨大隕石の落下」には遭遇していない。がしかし、我々人類の歴史を変えるほどの「大爆発」が、過去一度だけ起こっているのである。
1908年6月30日、ロシア中央部に位置するシベリア・ツングース地方に向かって、青白い流れ星が轟音と共に落下した。巨大な黒いキノコ雲が姿を現し、恐るべき衝撃波が地球全土を覆い尽くした。
爆心地から4,000キロ離れたサンクト・ペテルブルグをはじめ、世界各地の観測所で衝撃を記録する。衝撃波は地球を2周したため、ドイツ・ポツダムにある観測所では大気変動が2度も観測された。爆発によって巻き上げられたチリは太陽光線を乱反射し、ロシアやイギリス、アメリカに白夜をもたらした。
後の調べで、爆発によって木がなぎ倒された森林は2,000平方キロにおよぶことが判明。一説には広島型原子爆弾の5,000倍の規模の爆発という試算もある。まさに「驚天動地」の大爆発だったのである。
クレーター皆無
これほどの規模の天災にも関わらず、ロシア政治情勢の影響により、本格的な調査が行われたのは爆発から13年もたった1921年からだった。ロシア科学アカデミーから派遣されたレオニード・クーリックは、手がかりもないままにこの恐るべき「隕石落下」の調査に乗り出した。調査隊は難航の末、爆心地にたどり着いた。まわりは焼け尽くされた木々がすべてひれ伏した状態だったが、驚くべき事に、爆発の中心と思われる地点には焼けた樹木が直立していたのである。これより37年後、広島に投下された原子爆弾が爆発した真下の建物が、崩壊せずに残ったことと奇妙な一致を見せる。つまりそれは、隕石によるクレーターが存在しないことを物語っていた。隕石ではなかったのである。
諸説紛々
隕石ではなかった。では一体「何」が爆発したのか。さまざまな憶測が乱れ飛んだ。
反物質の隕石が空中爆発した。超小型ブラックホールが地球を通り抜けた。エンジンの調子が悪かった巨大UFOが、着陸寸前に爆発した。―――科学者から小説家まで、ありとあらゆる説を展開する。米国の学者が参加したソビエト調査隊による本格的な調査でも、爆発原因を示唆するヒントさえ見つけられなかったからだ。
しかし1976年、チェコの天文学者ルボール・クレザックは、ツングースを荒廃させた物体の逆算軌道がエンケ彗星の軌道と酷似している事実を指摘する。エンケ彗星の砕けた破片―――とは言っても直径100メートル、質量100万トンと推定される―――がツングースの真上で爆発した。彗星は隕石と違って気化成分が多く、大爆発を起こしやすいという。現在ではこの彗星説が有力視されている。
恐るべき確率
ところで、この凄まじい破滅を調査していたクーリックはあるひとつのことに気がついた。爆発の当日、爆心地からかなり離れた地点で農作業していた農夫は、体の片側にやけどを負った。1,300キロ離れたシベリア鉄道列車は、脱線を恐れて急停車した。しかし、死者は「一人も」出ていない。
ここでもまた驚くべき事に、この大爆発は地球上で「最も安全な場所」で起きたことが判明している。落下があと数時間遅いか早いかしたら、各地の都市部は文字通り「壊滅」する。サンクト・ペテルブルグ、ロンドン、ニューヨークなどを直撃するところだったのである。また海に落ちると、前例のない大津波によって沿岸部の都市はやはり壊滅する。恐るべき確率によって、人類は最大の危機を気付かぬうちに逃れていたのである。
ちなみにこの爆発の日、サンクト・ペテルブルグにはロシア革命の指導者レーニンがいた。この都市が爆発によって壊滅していたら、今ごろ我々はまったく別の歴史の中に生きていることだろう。
|