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[10664] (ネタバレあり)映画を見てきました返信 削除
2019/2/27 (水) 17:52:47Yさん

はじめまして。
以前からサイトの事は知っていたのですが、書き込むのは初めてです。

色んな漫画を持っていたのですが「もう自分も歳なので、、」という事で引っ越しを機に大量の漫画を売却しました。
銃夢シリーズだけは手元に残しました。それくらい銃夢フリークです。

先日映画を拝見しました。
煌びやかな映像と、良く練られているストーリーに興奮しました。なにより主人公の荒っぽい所とか、苦悩する姿がかわいいくて、かなり上手く表現できてるなと。
基本的に大満足で(あまり点数は付けたくないんですが)強いて点数を付けると 9/10 です。

(※これから下、映画のネタバレがあります。ご注意ください)

ただ1点。
3回見たのですが1回目に見た違和感が自分の中で膨らんでいます。

男性が車にはねられる
地下医者が現れて勝手に首から下を機械に代える
地下医者「街頭手術ショー」
男性「ちくしょー俺の体をこんなにしやがって!」→地下医者「お支払いはローンで?」
↑小さなコマだったと記憶してますが、こういうのが私の中のクズ鉄町です。

映画だと、子供たちが笑顔で遊んでいました。
そうです。映画のクズ鉄町には絶望が少ないんです。。
そこから生じるものだと思いますが、ザレムへの憧れも少なかった気がします。
ユーゴも自暴自棄になってザレムへ行くのではなく、自分が賞金首になったので命を狙われて危険だからザレムに行くとなっていました。

映画でも、自分の手とあんちゃんの手を入れ替えて欲しかったなと。
さよならを残して笑顔で死んでほしかったなと。

ただ映画製作側の観点からすると、カジュアルに作って多くの人に見てもらいたいってのもあるだろうし、
詰め込みすぎって感じは否めなかったので、これ以上話を入れるのは無理ってのもあるだろうし、難しい所ですね。

原作好きであるが故に、他の方の感想が凄く気になる映画です。
皆さんは映画を見てどのような感想を持ちましたか?

今日も私は見に行きます。(4回目)

[10665] Re:(ネタバレあり)映画を見てきました返信 削除
2019/2/28 (木) 02:49:49ツトム@管理人

▼ Yさん

はじめまして〜コメントありがとうございます☆<(_ _)>(^^

> そうです。映画のクズ鉄町には絶望が少ないんです。。

確かに映画を見た人による、ヒューゴやチレンがなぜあそこまでザレムに固執しているのかわからない、という声も聞きます。ヒューゴやチレンがザレムを目指す理由として、クズ鉄町が犯罪にまみれて荒廃しているから……というのは副次的なものでしかなく、主なる理由は「クズ鉄町がザレムに抑圧されている世界で、そこから抜け出すことが出来ないから」です。このあたりは原作を読んでないと感覚的にピンとこない、ということはあるかも知れません。

クズ鉄町はザレム=ファクトリー体制のもと、物資を生産してザレムに送る機能を日夜続けているわけですから、一般人が近寄れないような荒廃した犯罪都市では成り立ちません。少なくとも昼間の明るいうちは、多くの一般人でにぎわう町でなくてはならないわけです。一方で昼間は草モーターボールを遊ぶ若者でにぎわう町も、夜になると危険な町……というのがグリシュカ一味のような犯罪者サイボーグ連中の描写であり、あるいはヒューゴたちがやっていたパーツ強盗の描写でしょう。

ともあれ、クズ鉄町で暮らすのが危険だから(そういう面もあるとは思いますが)ザレムに行きたいのではなく、抑圧された状態から抜け出る自由の象徴としてザレムを目指す、ということですね。



[10666] Re2:(ネタバレあり)映画を見てきました返信 削除
2019/2/28 (木) 12:38:28yas_kawamura

>>確かに映画を見た人による、ヒューゴやチレンがなぜあそこまでザレムに固執しているのかわからない

これにはもっと端的な説明があるように思います。

ヒューゴ
空にあるザレムはヒューゴの希望、自由のメタファー。
ベクターとの対話からも分かるように彼は何か具体的に成り上がったり生活を変えたいという野心はない。
彼はただ、ここではないどこか遠くへ行きたいのよ。

抑圧された世界、強力な権力と支配に嫌気がさしたりっていう原作の側面を見なくても(兄が粛清されたりのシーンはなく、モーターボールを楽しむティーンエイジャーとして描かれ、その暗い部分は無い)、映画だけで十分に理由として成立しているんじゃないかな。

現代劇なら壁があるから乗り越えて向こうに行きたい、見てみたい、以上の理由はいらない。それが少年なら。

チレン
端的に望郷と復権が理由。
チレンは母親じゃなくなったんで、ザレムから堕ちた理由がなくなったわけです。
娘の養育を選んでイドと下界に堕ちた(堕とされた)ので。
キャラクターとして見るからに気位は高く描かれているので、やはり映画を見るだけで十分にチレンが固執する理由はわかると思います。
イドと違い、彼女はザレム人のマークを消していない。
そこからも分かるよね。そこはOVAより際立たせようとした脚本の配慮が見える。
あと元さやに戻って娘の死を忘れようとした、なかったことにしようとしたともいえる。

ちなみにクズ鉄町の暗い部分が好きだったというのはとてもよくわかる。
しかし一本の映画として考えるとすさんだ世界スタートにすると「アリータの目覚めの感動」を強調できなくなるのです。
映画はワンショットが大切なので、俺が脚本を書いたとしてもアリータの目覚めと成長にフォーカスするためにクズ鉄町の暗さは抑えると思います。
アリータがクズ鉄の中から拾い上げられ掲げられるシーン、命がよみがえるシーン、そして初めて街を見るシーン。
それらを生かすには暗すぎる世界観は減らすことになります。
300年の時を経てよみがえった赤ちゃんのようなヒロインがきらびやかな世界を見て心を取り戻してゆく、恋をしてゆく、っていう過程を取ったのは間違いではないです。
で、だからこそ魔角は出られなかった。
彼は人間と社会が持つ暗黒のメタファー、アンチヒーロー寄りのヴィランなので。俺だって魔角が見たいよ。
しかしグリシュカにしたのはバランス的に正解。
俺は同じアメリカでもブロンクスを描いていたのがデトロイトくらいになったと思うようにしております。
きっと映画のクズ鉄町にもありますよ。ザレム教徒が居るところとか詐欺手術とか。

▼ ツトム@管理人さん
> ▼ Yさん
>
> はじめまして〜コメントありがとうございます☆<(_ _)>(^^
>
> > そうです。映画のクズ鉄町には絶望が少ないんです。。
>
> 確かに映画を見た人による、ヒューゴやチレンがなぜあそこまでザレムに固執しているのかわからない、という声も聞きます。ヒューゴやチレンがザレムを目指す理由として、クズ鉄町が犯罪にまみれて荒廃しているから……というのは副次的なものでしかなく、主なる理由は「クズ鉄町がザレムに抑圧されている世界で、そこから抜け出すことが出来ないから」です。このあたりは原作を読んでないと感覚的にピンとこない、ということはあるかも知れません。
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> クズ鉄町はザレム=ファクトリー体制のもと、物資を生産してザレムに送る機能を日夜続けているわけですから、一般人が近寄れないような荒廃した犯罪都市では成り立ちません。少なくとも昼間の明るいうちは、多くの一般人でにぎわう町でなくてはならないわけです。一方で昼間は草モーターボールを遊ぶ若者でにぎわう町も、夜になると危険な町……というのがグリシュカ一味のような犯罪者サイボーグ連中の描写であり、あるいはヒューゴたちがやっていたパーツ強盗の描写でしょう。
>
> ともあれ、クズ鉄町で暮らすのが危険だから(そういう面もあるとは思いますが)ザレムに行きたいのではなく、抑圧された状態から抜け出る自由の象徴としてザレムを目指す、ということですね。
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